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(映画)『浪人八景』(1958年 加藤泰) [映画]

佐々木康監督の代打として抜擢されたという加藤監督。会社の期待に応え、カラーの主番組をそつなく演出してみせた。
実際に箱根でロケしたわけではないだろうが、海の見える峠を歩く主人公のもとへ助けてくれと男が飛び出してくる冒頭は「大菩薩峠」を思わせる。しかし登場したのは剣豪ではなく女。彼女と知り合ったことで、主人公が江戸での事件に巻き込まれ、それがやがて彼自身と関係のあるものだったという話はなかなか面白い。
どっしりと構え、いざという時に強いという主人公のアップを存分に見せる。右太衛門御大も満足だったろう。
加藤監督は、まだローアングルで撮っていないが、立ち回りの演出は工夫していた。主人公が雨傘を片手に斬り合いをする殺陣は、姫の手を引きながら戦うクライマックスへとつながる。
そして締めもまた帰り道の箱根。
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(映画)『人間の時間』(2018年 キム・ギドク) [映画]

邦題も元と同様、「人間、空間、時間、そして人間」の方がよかったのに。物語は、字幕とともにこの四つの部分に分かれており、以下のように要約できる。
1.戦艦に乗り合わせた人々の貧富の差、男女差別によって事件が発生する
2.戦艦が突如空に浮かんでいて、助かる方法がわからないため食料問題が発生する
3.食料が尽きで何が起こったか、そして時間が新たなものを生産する
4.無事生き延びたが、結局1が繰り返される
この作品は、過去のギドク作品に比べれば、目をそらしたくなるような場面になると、赤裸々にどぎつく見せないようにはしていた。にもかかわらずすこぶる不快になるのは、人間たちの本性があまりに醜いから。権力者である議員ばかりではない。食料に群がる人々や、最愛の人が殺されても、バナナにむさぼりつく女性なども。
各部分で描かれている主題はとても明快で、セリフにもあった「神が人間の限界を試している」のだと言える。その中で、唯一何を表象しているのかわからなかったのが、ひと言も口をきかない老人。彼は『春夏秋冬そして春』の主人公のように、自らの使命があらかじめわかっていて、それに則っている行動しているようだ。船が空を飛ぶ前から土を集め、それぞれの事件を必ず目撃しているが、決して手出しはしない。神もしくは神の使徒とするよりも、賢しらな人間と解釈した方が、人間に対する希望をすべて打ち砕かれるようなこの話にあって救いとなるように感じる。
時間の経過が、植物を育て、鶏から卵が産まれた。しかし希望として生まれたはずの息子は、やはり欲望のままに生きる人間になってしまったという絶望で終わってしまう。
『悲夢』の続きのように日本語で意思疎通ができてしまうオダギリジョーが、早い段階であっさり退場となってしまのがちょっと可哀相。。
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(V)『若葉学園♡チェリーボーイズ』(2008年 城定秀夫) [ヴィデオ]

チェリーボーイズ=童貞少年、ということで、三人の少年が主役の「パンツの穴」的喜劇。
三人しか部員がいない落研。主人公はひとり落語の研究に余念がないが、他の二人は童貞を卒業したいと妄想の毎日。そこへ東京は秋葉原から可愛い女子が転校してきて、主人公が夢中になる。彼女はコスプレ研究会を作りたいから部室を分割しろと、落研の部屋が『或る夜の出来事』式カーテンで仕切られてしまう。
二人が、風俗に行くお金を貯めようと居酒屋でアルバイトをして、居酒屋の女将とその娘それぞれといい仲になり、さあいよいよという時に、意中の男--海に消えたはずの夫(森羅万象)が、海から戻ってくる!--が戻ってくる状況が並行した起こる場面は爆笑してしまった。
一方、主人公は学園祭の落語で彼女への思いをぶちまける。普通なら省略してしまうところ、城定監督は落語を見せるという力業を繰り出す。「猫の皿」の最後、映画の中でも外でも、見ている人は見事にオチた!
大正時代の落語名人が現れて「自分をさらけ出せ」と主人公に助言するなど、女の子は脇の扱いの男子高校生の成長物語であった。
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(映画)『嵐電』(2019年 鈴木卓爾) [映画]

嵐山への電車だから「あらでん」かと思っていたら「らんでん」だった。恥ずかしい。
電車にまつわる話を書いている作家、電車を8ミリカメラで撮影することに情熱を燃やしている高校生、映画村の近くのカフェで働く女性の話が並行して語られる。嵐電は常に中心にあって、映画の最初から最後まで、ずっと電車が走っている印象がある。
三者三様の物語は恋愛が主題で、それらを紡ぐだけでなく、電車が別の世界への乗り物となるかのような幻想場面を普通に導入しているところが秀逸。(登場人物の名前も童話風にしているようだった。)
普通であれば、電車が幸せをもたらすとなりそうだが、狐と狸の車掌が乗っている電車に乗り合わせたら大切な人と別れる、とくるのは、己の力で切り開けということか。
女性だけが電車を降りて発車するまでワンカットで撮った場面が印象的。外側からだけでなく、嵐電の内も見せてもらったが、改札の仕組みが見ていてわからなかった。。
この作品の音楽こそくるりに頼むべきだったのでは。
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(映画)『月夜釜合戦』(2017年 佐藤零郎) [映画]

珍しくスタンダード画面と思ったら、16ミリフィルムで撮影されたらしい。画面の質感や内容が90年代あたりの作品という感触がした。
ヤクザと警察が結託しているとか、土地を買い占めようとする企業ゴロが登場するという図式は紋切り型ではあったが、喜劇なので軽く流そう。
少年、街娼、スリという登場人物がみな魅力的で、彼らが釜ヶ崎の中で動いているところを見るだけで飽きない。墓の前で踊りだす場面や、三角公園での子どもたちの喧嘩のような殴り合い、そのあとの追っかけなど楽しかった。
この町の住人は「町がなくなれば、受け入れるところがない」人たちばかりで、その彼らが映画の中でたしかに生きている。寓話的な結末が理想郷としての町が存続することを約束している。
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(映画)『刺青』(1966年 増村保造) [映画]

この話も『曽根崎心中』のように商家の使用人と娘の出奔話だった。しかし、主人公が最初から気の強い娘で、男が言うなりにつき従っているという構図。悪い奴に騙されて、背中に刺青を入れられ、芸者屋に売り飛ばされてしまうのだが、それを逆手にとる形で、売れっ子芸者になる。
背中の蜘蛛の不気味さと妖艶さは、やはり一見の価値ありだが、刺青を入れたことで性格が変わったというようには見えなかったところが若干弱い。
男が殺されそうになって、逆に相手を刺し殺す雨中のもみあい場面から始まって、この作品の格闘場面は、どれも容易に決着がつかない。登場人物をできるだけ少なくして、ひとりひとりがジタバタ生きているところを見せる印象。
それまで東京撮影所専門だった増村監督が初めて京都で撮っただけのことはあって、西岡美術と宮川キャメラが、最後の悲惨な情景までも様式美のように見せていた。
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(V)『わらの犬』(1971年 サム・ペキンパー) [ヴィデオ]

米国人というだけでなく、数学教師という職業も、閉鎖的な英国の村では余所者視される要素となる。
この映画、人物の行動は相手を見る視線によって起動する。男を誘っているかのような主人公の妻--ノーブラ--を見る村人たちの視線。主人公をあざけるような村人たちの視線。家の中から村人たちを見る主人公の視線。ペキンパー監督は、行動が起こる前にその人物を見る人の顔を律儀に挿入する。
クライマックスの主人公の戦いは、胸の奥に秘めた思いや、怨みを表に出したという描き方ではなく、村人たちの暴走がそのまま主人公に乗り移ったかのよう。当初は妻と我が身を守るためだったのが、途中から何かに操られているかのようになる。終わってみれば、自分がなぜ戦っていたのかわからず、自分の行くべき場所もわからなくなってしまう。
アクション場面では、得意のスローモーションが駆使されていた。
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(V)『万引き家族』(2018年 是枝裕和) [ヴィデオ]

万引きで生計を立てている家族の話かと思ったら、夫婦とも働いていて看板に偽りありかと思ってしまった。(途中で二人とも職を失うが。)万引き場面も思ったほど多くなく、看板で想像してもらえば実際に見せなくともという戦略かも。
感心したのは、夫婦がいつ交合しているかといった性に関する主題も描いていたこと。さすがに真正面から描くところまではいかなかったけれど、是枝監督の創作態度はぶれていないということだ。
冬から始まり、夏からまた冬へと季節--海水浴が家族団らんの頂点となる--が変わるなかで、彼らの関係も少しずつ変わっていくところもよかった。
どうしても『パラサイト』と比べてしまうが、
この作品の家族のひとりひとりに向けた冷静な視線に比べると、『パラサイト』の視線は寓話的でやさしかったと言える。
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(映画)『音楽』(2019年 岩井澤健治) [映画]

声を坂本慎太郎が担当したことによって、主人公の魅力--喧嘩が強くて、飽きっぽくて、でも一旦情熱を傾けたら力を発揮する--が増した。(そもそも声が別の人だったら、この映画を見なかったかもしれない。)肝心な場面では、アップになってからしゃべり出すまでの間がすごく長い演出が絶妙だった。
笑える場面がいろいろあったけれど、特に可笑しかったのは、バンド名--古武術--と尻でリズムをとっていたというところ。笛は吃驚したけれど、漫画や映画における小道具としては特別ではない。それよりも、坂本と岡村ちゃんが同じ人の声を担当するなんて、狐と狸が結婚するようなことが起こったような驚きだった。(でも坂本の雄叫びを聴きたかった気もする。)
叙情派フォークの森田が、いきなりギター演奏に目覚め、電気ギターを弾きまくると容姿も灰野敬二のようになったのが面白かった。まさにロックの初期衝動。
オシリペンペンズ同様、古武術のあとのニーネも出してくれたら百万点だったのに。
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(映画)『初春狸御殿』(1959年 木村惠吾) [映画]

木村惠吾監督は、よほど狸御殿が好きらしい。物語は『歌ふ狸御殿』を踏襲しているが、設定が少し異なり、お黒の父親は死んでおらず、お黒を困らせる存在。
お黒の競争相手がいないと面白くないのではと見ていたら、彼女が御殿のお姫さまと瓜二つという設定。(化けて二役ではない。)お姫さまが家出してしまったため、御殿で狸吉郎の相手をすることになる。
美術にも十分お金をかけられる時代になったが、童話の世界という位置づけか、わざと作り物のようなセットにしていた。正月映画ということもあり、主人公が艶やな着物姿を見せるところが売りもの。もちろんミュージカル映画として、音楽--吉田正--も一新され、歌い踊る場面はたくさんあるが、舞台の上でつぎつぎと歌い手が変わるショウを撮っている趣き。水谷八重子や松尾和子、さらにはマヒナスターズまで登場し、各自の歌を歌う。物語と音楽の融合という点では、前作の方が上。
前作にも登場した主人公と狸吉郎の羽根つきは、カラーになって華やかになった。二人が歌い踊る場面は少なく、その変わり日本舞踊をじっくり見せてくれた。
湾曲する階段も、わざわざ鍵盤のように沈みこむ仕様となっていたが、なぜか出番はあまりなかった。
狸吉郎をお姫さまに譲ったお黒がどうするかといえば、薬売りとくっつく。この薬売りは前作のカッパに相当するが、こちらはタヌキのようだった。その代わりに、緑のカツラをかぶったほとんど裸の女性が二人、カッパとして薬売りを囃す。ひとりは毛利郁子で、大胆な格好と美しい肢体に眼が惹きつけられた。。
前作にもあったが「しかじかこういう訳で」というセリフで説明を省略してしまうのが面白かった。
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