SSブログ

(映画)『ミリキタニの猫』(2006年 リンダ・ハッテンドーフ) [映画]

ジミー・ミリキタニは、2002年で82歳。耄碌してきているのか、同じ話を繰り返す。
しかし、それは彼自身の記憶に強く残っているものであり、自らが生きる縁としてきたものだ。自分は偉大なアーティストである、商業芸術家とは違う、との言葉は、米国という国に裏切られ、市民権を放棄した後で、国に頼らず、芸術によって生きるのだという60年近く心に秘めてきた決意なのだ。
9.11が起きて、テレヴィ画面に「NEW WAR」という言葉が踊り、アラブ系米国人が迫害を受けているというニュースが流れる傍らで、彼は昔と何も換わっていない、と嘯く。真珠湾攻撃のあと、12万の日系人が三年半も強制的に収容所に入れられたという事実。米国籍にも関わらず日系二世ということで収容所に入れられた彼にとって、米国は60年前にすでに同じことをしていたということだ。
新藤兼人の姉も同じ体験をしている。彼女も広島から米国に渡った。ジミーの両親も似たような事情だったのかもしれない。
映画は、本人が毎日淡々と画を描く姿をとらえ、彼の言葉を記録するだけで、意図的な告発はないが、だからこそ自然にそのメッセージが見るものに伝わってくる。
ジミーの強い記憶のひとつである、収容所にいたときに猫の絵を書いてあげた幼い子の記憶が、最後に彼を自分が居た西海岸の収容所ツアーに向かわせる。ジミーが繰り返し絵に描いていた尖った山は、映った瞬間にそれとわかる。
姉との再会シーンをクライマックスにもっていくこともできたはずだが、安易にそれを入れなかったところは高く評価したい。それでもやはり、再会したのかは気になる。エンドロールでさりげなく見せるというこの粋な計らい。
ジョエル・グットマンなる人の生ギター主体の静かな音楽もよかった。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 1