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(B)『瓦礫の死角』(西村賢太著 講談社刊) [本]

四つの短編を収録。
最初に二編は、北町貫多十七歳時の話で、続き物のようになっている。著者の最近作に傾向であるところの、派手なクライマックスで読ませるのではなく、文章のおもしろさの中に内省的なものが顔を出す仕掛けになっている。『パラサイト』を見て、魔太郎を思い出したばかりだったので、四三頁に「彼はがんらいがひどく復讐心の強い、魔太郎じみた性質にもできている。」という文章があって、ひとりほくそ笑んでしまった。
「四冊目の『根津権現裏』」は、新川との会話の妙を楽しむとともに、「もっとシンプルに云えば、その道を進む上でのパスポートみたようなもの」「絶対に取りこぼすことのできぬ必携のアイテムであり、パスポートである」というハイカラな言い換えが面白かった。
最後の「崩折れるにはまだ早い」は、主題を与えられた企画もののようだが、北町貫多と思われる--名前はでてこない--渠(かれ)が、途中で藤澤清造に変わって話がつながっていくところが見事。主人公の脳裏に浮かぶ最近亡くなった作家のうち、車谷長吉と思しき人の前後は誰かと思っていたら、芥川と田山花袋だったとは!
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丸山健二トークイベント 「文学、庭、そして『人の世界』」@二子玉川蔦屋家電(01/29/2020) [講演]

いきなり、「2020年を丸山健二元年と定めた。あと25年続ける。」との宣言。すなわち百歳まで書き続けるということで、これは14年前の講演と変わりない。
柏櫓舎から刊行されていた全集が、資金の問題で昨年突如中止となったけれど、今後は自ら出版社を立ち上げ、新作や全集の続き--『千日の瑠璃』もすでに出来上がっているらしい--を「産地直送」で届けるという、とうとうインディーズ歌手のような体制にするとの由。
近年「塾」なるものをやっているせいか、映画や庭などと絡めて、文学について語る話は具体的だった。今回は、「文学とは人の世界を描くこと」と言っていた。また、捨てた作品がたくさんあるというのは意外だった。丸山の場合、一旦定めたら完成するまで粘るのかと思っていた。
最近の小説に私が違和感を覚えていた点については、どうやら新しい形式に挑戦していた結果のようで、それはすなわち、「物語に沿った意識の流れではなく、意識の流れを優先し、それを意図的に挿入している」からのよう。三年かけたという春の新作『ブラック・ハイビスカス』では、その形式がほぼ完成したとのこと。全四巻で一体いくらになるのかわからないが--二万円は超えるだろう--、産地直送で読まねばという決意を固めた一時間半の至福の時間であった。
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(V)『黒い傷あとのブルース』(1961年 野村孝) [ヴィデオ]

横浜のヤクザが神戸の取引で騙され、撃たれた上に五年間の刑務所暮らし。出所して自分を騙した男を捜して神戸から横浜へ戻る。偶然探し当てた男は、今は元町でスーパーマーケットを経営していて、どうやら組を潰して縄張りを横取りするため、キャバレー経営者が彼を使ったことがわかってくる。
一方で、主人公に好意を持った可愛い娘が、なんと自分を騙した男の娘だったという展開に、主人公は気持ちが揺れながらも復讐を遂行しようとする。しかしながら、親分の妻と子が、自分たちで生きていけるので余計な心配は無用、となって、主人公も自分の復讐にあきらめがつき、円満解決の方向が出来上がったのだが。。
主人公の目的が明確であるのと、何も知らない無垢な娘、復讐と娘に挟まれた主人公の葛藤がうまく絡み合って、いい雰囲気が出た。
レストランで待つ彼女を振り切って、船に向かって歩いて行く主人公の後ろ姿を延々と見せる最後が切ない。
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(V)『都会の空の非常線』(1961年 野村孝) [ヴィデオ]

主人公は、ヘリコプターの操縦士。冒頭、ビル火災を発見し、屋上から二人の子どもを助ける。(二人を一度におんぶしてヘリコプターから降ろした縄はしごを昇る!)警察沙汰になったことで、身を隠していた二人の父親と子どもたちが不動産開発業者に捕まってしまうという話。狙われている土地が富士山麓の村ということで、ヘリコプターが生きる。
日活得意の映画内宣伝--硝子振興会か何か--が少し過剰で、ヒロインが販売店をやっているだけでなく、花瓶が作られるところを見せたり、花瓶をヘリコプターに飾ったり。そのヒロインが勝気で、主人公と突如喧嘩が始まるところは、交互のアップで面白おかしく撮られていた。
ヘリコプターを生かす設定にしても、モーターボートで逃げる船から子ども二人を助けるというのは、無理やりな感じがした。
『さすらい』に続き、殺し屋の名前が「石堂」なのは、脚本の小川英の趣味か。
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(V)『さすらい』(1962年 野口博志) [ヴィデオ]

サーカスの空中ブランコ乗りが、後輩を死なせてしまい、サーカスを辞めて船乗りになる。数年後、日本に戻ってきてなぜかヤクザの手先となる。(最初断っていたのに、手先になってしまったのは、あとで場面が削除されたのではという唐突さ)
「シバタサーカス」なる実在の団体の協力をあおいでいて、空き地にテントを張って全国を巡っていたサーカス団の様子が楽しめる。(空中ブランコが主だが。)テントが放火で燃えてしまう場面があるが、檻の中の動物たちはどう助けたのだろう。。
ブランコ乗りをやめた主人公が再び技をみせる場面は、もう少しタメのあるいきさつが欲しかった。ヤクザに無事借金を返して、海外公演の契約をとるのに、二台のヘリコプター間で空中ブランコをやるのがクライマックスとなって吃驚。さすがにそこは合成画面となっていたが、荒技に成功した主人公が海外公演に行かなくてよかったのか。。
最後はヒロインを他の人に譲り、主題歌「さすらい」の歌詞に合わせ、主人公はひとり去っていく。
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(映画)『パラサイト 半地下の家族』(2019年 ポン・ジュノ) [映画]

見知らぬ人が家に入り込む話は『ボーグマン』にもあった。『魔太郎がくる!!』の、見知らぬ家族が一人ずつ魔太郎の家に入りこんで、一家を追い出してしまおうという挿話も思い出した。
前半は、主人公一家が一人ずつ入り込む経緯の面白さで魅せる。息子が鉄の自動扉を入った瞬間からそれは始まり、妹、父、母の順番でその家に雇われるまでが、流れるように進む。不似合いだが、流麗なピアノ曲に乗って。
四人が留守の間、思うままくつろぐまでの喜劇的な雰囲気が後半一変する。三人がずぶ濡れになって家まで歩いて帰るところを写した場面が、その境目となる。(そのあとの家じゅう水浸し場面は、作り物のような気がしなかった。)
主人公一家と元家政婦夫婦は、本来手を携えるべきだったと思うが、そうはならない。互いのエゴが不幸を招いたとも見えるがそう単純な話でもない。ひとり貧乏な人たちを思いやる気持ちのあった妹が、家族の中でただ一人死んでしまうではないか。。
庭での誕生会の場面、地下室住人の臭いに顔をしかめた瞬間、貧乏人の刃が金持ちの主人に向けられたのは当然だ。ポン・ジュノ監督は、得意のスローモーションを駆使し、恐怖の場と化す一部始終をたっぷり見せる。
地下生活者は、永遠にそこから出られないという結末で締めくくられるが、唯一主人公一家と現実的な結びつきがあった、金持ちの娘がどうなったか描いてほしかった。2時間超の作品ではあるが、いろんな挿話をそぎ落として性急にまとめた印象があった。本来もっと長かったのではないか。
地下室へ降りる階段は、『下女』、『火女』が念頭にあったか。
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(B)『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(真魚八重子著 Pヴァイン刊) [本]

著者がブログや同人誌などに書いた、映画評を集めたものとのことで、好きな作品を字数制限なく書いたものというのが特徴。
洋画もあるが--初めてシャマラン映画を見てみようかという気になった--、邦画が多く取り上げられているのが嬉しい。見ていなかった作品も結構あったので、今後の楽しみが増えた。
渡辺文樹映画について書かれたものを目にしたのは柳下に続き二度目で、執拗に映画の雰囲気を伝える文章は、渡辺作品が持つ熱そのものではないかという感じを受けた。
著者の特徴として、女性の生理に合うか否かというのがあって、日活ロマンポルノ評にはその視点が多く登場するのが、新しい見方として参考になる。著者によれば、「ある切り取られたにすぎない時間が逆に、物語に支配されない、ただ映画としてそこに存在する<純粋な映画>となってい」る作品の第一人者は曾根中生ということらしい。
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(映画)『真紅な海が呼んでるぜ』(1965年 松尾昭典) [映画]

神戸を舞台に荷捌きを独占しようとする会社同士の争いというよくある設定。しかしながら、主人公にとっては、そこの社長に狙われている友人の妹を救うことが主眼。
魚獲りの最中主人公が撃ったモリで兄が死んでしまったことで、ヒロインは主人公を避けているのだが、彼に助けられて心を開く、、という展開かと見ていたら、借金を肩代わりして--「受け取りはいらねえぜ」!--助け出しただけで、彼の気持ちは別の女性にあったのだ。
実は、この映画のヒロインは東南アジアに売られて、船長である兄の計らいで香港から密航して帰国した女の方だった!冒頭、足を見せて主人公に色目を使っていた彼女は、自分を騙した男二人に復讐するために帰ってきた。しかし、殺せなかったり、死んでいたりで、二発の弾丸は使われないまま捨てられる。
ビキニ姿のような服装で踊ったり、最後、アパートから港まで延々と走ったり--走る姿が堂に入っていた--、中原早苗の魅力爆発。(ついでに兄の元妻という役も演じ、性格がまったく異なるところも見せる。)
逆恨みを受けて誰かが殺されてしまう展開もなく、血は主人公の友達を撃った話の中に登場しただけの恋愛映画だった!!
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(V)『娘の季節』(1968年 樋口弘美) [ヴィデオ]

バスの車掌をしている女性たちを描いているのだが、話の基本は暗い。
工場を馘首され、家賃も払えない主人公の兄。彼女たちが住む寮の管理人をしている車掌の先輩は、事故で左腕がない。世の中はワンマンカーに切り替わろうとしているところで、彼女たちの雇用もこの先どうなるかわからない。
バス会社の労働組合がワンマンカー導入に反対しようと意見をまとめる場面があるが、導入を前提に自分たちの権利を主張したほうがよいといった対立見解を出して、組合も変革期にあることを示唆する。(組合旅行でよみうりランドへ行く場面はあるけれど)
主人公の兄は破滅型で、骨肉腫で余命短いバアの女主人と自殺してしまう挿話まであれど、暗い印象はなく、主人公を始めとする彼女たちの未来を祝福するような映画。実際のバスやバス会社の車庫でのロケをうまく使っていた。
主人公が最後に、結婚に同意してくれた運転手の背中に、無言で飛びついていく気持ちは痛いほどわかる。飛びつくところはロングで見せ、アップでは二人に照り付ける太陽を画面に入れる大胆さが印象的。
五千円婆さんに一矢報いるのも楽しかった。
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(V)『アラブの嵐』(1961年 中平康) [ヴィデオ]

冒頭、パン・アメリカン航空の協力を得たと出るが、エジプト政府のそれもあったのではないか。日本からは三人の俳優がカイロへ行った--香港、ベイルート経由で--ようで、あとの俳優が現地調達。
独立国家設立を目指す集団と、それを阻止しようとする帝国主義者の抗争に、日本から行ったお金持ちのボンボンが巻き込まれる話。
祖父の遺言が本のようになっていて、いろんな場面で開いた頁が、主人公への助言となるところが面白かった。
当時はエジプトを動く映像で見るのは、あまり機会がなかったと思われ、主人公がいろいろな観光名所を巡り、カイロからルクソール--ルックスアールと表記されていた--まで史跡を見せてくれるのが見どころ。砂漠で飛行機から射撃されるヒチコック映画のような場面もあった。
独立国家側の人が、カバンがすり替えられたことで主人公が持っていた大切な情報が入っているペンダントを無事手にして終わりとなり、主人公のロマンス話はまったくなかった。
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