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(V)『わらの犬』(1971年 サム・ペキンパー) [ヴィデオ]

米国人というだけでなく、数学教師という職業も、閉鎖的な英国の村では余所者視される要素となる。
この映画、人物の行動は相手を見る視線によって起動する。男を誘っているかのような主人公の妻--ノーブラ--を見る村人たちの視線。主人公をあざけるような村人たちの視線。家の中から村人たちを見る主人公の視線。ペキンパー監督は、行動が起こる前にその人物を見る人の顔を律儀に挿入する。
クライマックスの主人公の戦いは、胸の奥に秘めた思いや、怨みを表に出したという描き方ではなく、村人たちの暴走がそのまま主人公に乗り移ったかのよう。当初は妻と我が身を守るためだったのが、途中から何かに操られているかのようになる。終わってみれば、自分がなぜ戦っていたのかわからず、自分の行くべき場所もわからなくなってしまう。
アクション場面では、得意のスローモーションが駆使されていた。
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