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(B)『海の見える風景』(早川義夫著 文遊社刊) [本]

今月突然、著者の新刊が発売された。帯に「書き下ろしエッセイ」とある。
最初の二編は、内容が同じためか前作で読んだような文章だったが、そのあとあたりから徐々に最近の著者の生活が描かれる。
日々の暮らしのちょっとしたこと、ふと蘇える昔のこと(たいていは苦い思い出だ)。こんな自分を変えたいのだけれど、変えられない哀しさ。それは自慢でも開き直りでもない。
著者が、斯様に外に向けて文章を書こうという気持ちになって来たことを嬉しく思う。「突然、白肌を魅せた大きな富士山が現れた」なんて艶めかしい文章をさりげなく書けてしまう著者はやはり唯一無二。
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(映画)『制服ONANIE 処女の下着』(1992年 佐藤寿保) [映画]

客席の後ろに映写機を据えて16ミリフィルムで上映。
まだ電子メールと言わない時代、パソコン通信でやりとりをする時代の話なれど、見知らぬ人との会話、撮影した映像をパソコン上に載せる、ゲームをしているような感覚で人を襲うという設定は、時代を先取りしている。脚本は、PG編集の林田義行で、この頃まで十代だったとのこと。
男子高校生が、パソコン通信で知り合った女性の指示に従って二人の女を襲う。二人とも殺されてしまうのだが、殺したのは彼ではなかったという話。
指示を出している女子高校生は、刃物に魅せられていて、手にすると使いたくなってしまうようだ。彼の出現によって、その性癖が治る展開かと見ていたら、彼はあっさり刺されてしまった。
彼女と刃物の関係をもっと突き詰めた方がとも思ったが、若者だけが持ちうる独特の世界観は見事に刻印されていた。
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(L)渡辺えり@曼荼羅(12/28/2023) [ライヴ]

『渡辺えり 頭脳警察と浅川マキを歌う』 と題されたライヴ。これは行かねばなるまい。
この日は昼、夜二回公演で、見たのは昼の部。ステージにはドラムセットもあってロックバンド形態。気ギター(佐々木秀尚)、ベース(川本悠自)、キーボード(近藤達郎)、女性ドラムス(鳥垣優羽)とメンバーが準備すると渡辺が登場。青い豪華なドレスに上着はGジャン、量の多い金色のかつら姿で!
リズムボックスの音が鳴り、驚くべきことに「腐った卵」を歌い出した。頭脳警察の音源同様ドラムスの演奏に乗せて、思いっきり叫ぶ姿にのっけから鳥肌。この曲を聴けただけで、見に来た甲斐があったというもの。
続けて二曲頭脳警察の歌を演ったが、バックのメンバーはレコードのアレンジを再現している風でとても上手。パンタの詩の朗読から閃いたということで、渡辺自身の詩を朗読した曲が演奏されたが、これもPANTAが詩を叫んでいる感じを彷彿させた。
続いてパンタのソロ曲をとりあげたのは、キーボードの近藤達郎がマラッカアルバムに参加していたからのようで、この二曲では、演劇仲間の若い女性三人がステージに登場して、コーラスとダンスを付けていた。渡辺はマラッカアルバムをこれまで聴いたことがなかったようで、歌の譜割が少しぎこちなかった。女性ダンサーを従えての「マラッカ」はパンタもやりたかっただろう。
頭脳警察カヴァーの最後の曲は、何と「月の刃」。これは渡辺がジュリーのファンだからの選曲。渡辺の解釈による歌詞の説明に続いて、これも情感たっぷりに歌い上げる様が感動的で、改めて名曲であることを認識した。
頭脳警察の曲は三曲だけだったが、渡辺のPANTAの楽曲に対する深い理解や愛着が感じられて大満足。
休憩をはさんだ後半は、衣装も黒いドレスに変わって浅川マキのカヴァー。マキのように淡々と歌うのではなく、こちらも全力で歌い上げる雰囲気。「朝日楼」は渡辺の方がよかったとヴェンダースに教えたい。選曲は初期の名曲をメドレーも交えながら演奏。80年代の演劇的な歌の方が渡辺に合っているような気もしたが。
ライヴはこれで終わらず、表現者としてはやはり自分の曲を聴いてほしいということで、彼女自作の劇で使った曲が数曲披露される。これらの歌を聴くと歌のうまさがよくわかった。
コーラス三人だけでなく、本人まで高校生時代を思い出しセーラー服を着て歌い、踊って--意外と似合っていた--いて、歌を聴かせるライヴでも、視覚でも楽しませようとするエンタテインメント性を感じた。
最近、渡辺は自分の劇で「さようなら世界夫人よ」を使ったことで、PANTAとの縁がより深まったようで、二人でライヴをすることも約束していたらしい。それでアンコールは、これまた感動的に歌い上げた同曲で締め。こちらもコーラスと踊り付きで盛り上がった。
一時間半くらいのライヴかと思っていたら何と三時間近くも演奏。夜の部が始まるまで一時間ちょっとしかないではないか。演劇人にとってはこれぐらい何でもないのだろうか。
二度と見られないようなものを十分堪能させてもらった。

<セットリスト>
1. 腐った卵 2. 夜明けまで離さない 3. あばよ東京 4. オーマガトキに生まれた星は 5. 裸にされた町 6. マラッカ 7. 月の刃 /8. 朝日楼 9. 裏窓 10. 花いちもんめ~かもめ~ちっちゃな時から~Blue Spirit Blues~少年~ちっちゃな時から~かもめ~夜が明けたら 11. ふしあわせという名の猫 12. 淋しさには名前がない 13. ? 14. あこがれ(新曲) 15. 泣きたくない 16. 待ちましょう 17. おやすみ世界の子どもたち /en. さようなら世界夫人よ  
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(映画)『枯れ葉』(2023年 アキ・カウリスマキ) [映画]

今どきこんなすれ違いメロドラマが成立するだろうかという話。現在の話であることを強調するためにラジオからは常にウクライナ戦争のニュースが流れているのかとも思ったが、そんなことはあるまい。ヘルシンキで見られる弱い立場の人々も、ウクライナ同様解決が必要な問題なのだ。
単純な話にこれだけ情感を込められるとは、まさに熟練の技。
男のアル中が本当に治るか心配だが、「人から指図されるのはごめん」と去っていく姿はカッコよかった。
カウリスマキ監督お気に入りの世界各地の歌を背後に流していて、「竹田の子守唄」が入っていたのは監督らしい。地元バンドと思しきキーボードとギターの女性二人組の音楽が耳に残った。
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(映画)『破局』(1950年 マイケル・カーティス) [映画]

カリフォルニアで釣り人を乗せる船を運航している男が主人公。違法なものを運ぶ誘いがあっても、きっぱり断る正義感の強い性格なのに、乗せた客に騙されてメキシコから帰る金がなくなり、しかたなく密入国者を乗せてしまう。
心持ちはしっかりしているのに、悪いことに手を染めざるを得ないような環境に引きずられてしまう哀しさ。彼に興味を持っている美女になびかないという不思議な流れも、彼の正直さを証明するためだろうか。
そしてクライマックスは、強盗団の逃走を手助けすることになるのだが、拳銃を隠しておいて、一味四人を全員撃ち殺すというすさまじい展開。彼の正しさが最後に彼の命を救ったという図式。
しかし、何の罪もない相棒は殺され、その子が最後ひとり寂しく残される救いようのなさは、主人公は無垢ではなく、罪深いことを表しているのだろうか。
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(V)『さそり』(1967年 水川淳三) [ヴィデオ]

前半は、スーパーマーケットの経営者が18歳の娘をアパートに囲い、娘に翻弄されるという「痴人の愛」的内容。社長を演ずるのが伊藤雄之助なので、笑いが入っている。ところが、途中で彼が、娘を追って大阪からやってきた若い男にもののはずみで殺されてしまうまさかの展開。
若者たちの屈託がない現代風な造形は、脚本の森崎東--野村芳太郎と共同脚本--の色が出ていると見た。二人は警察を恐れながらも脇が甘く、逮捕されてしまう。(刑事役の露口茂は山さんが捜査しているよう。)
前半の喜劇的な流れが後半にも及び、男はその場逃れのつもりで女を犯人に仕立ててしまうのだが、深刻にならざるを得ないのは女。最後は、女の気持ちを映像化して実際はそんなことなかったという展開が映画の雰囲気に合っていたと思うのだが。そもそも「さそり」という悪女を連想される題名は、この主人公には似つかわしくない。
新人の佐藤友美の魅力は生かされていたし、特別出演として少し登場した加賀まりこが、男に説教をする場面は、説得力もあって感心した。
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(映画)『新編 丹下左膳 隻眼の巻』(1939年 中川信夫) [映画]

昭和14年と15年の正月映画として作られた丹下左膳「新編」の三作目。(四作とも監督が異なる。)今作は四作目と組みになっているようで、クライマックスの立ち回りを最後まで見せずに終わってしまう。
前作で片腕を斬られ、未だ回復していない様子の丹下左膳が、冒頭で左目も斬られてしまうところから始まる。左膳は、明石の松平という殿様に恨みを晴らすのが使命のようだが、吉野屋という大きな商家に助けられて傷を癒していて、立ち回りを見せるのは最後までお預け。その代わりに、商家の娘が左膳に惚れるという色恋沙汰がある。
若い娘が片腕片目のむさくるしい男に惚れるのだろうかという疑問はあるものの、娘がつまらなそうにひとり遊びをしたり、商家の下男--歌いながら仕事をするは岸井明--がからかったりするところが楽しい。
最後は、本陣に泊まっている明石の殿様のところへ乗り込んでいき、「片手剣法の店開き」となる。庭の真ん中にある大きな木を使った立ち回りは、中川監督のうまいところ。
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(映画)『奴銀平』(1938年 大曾根辰夫) [映画]

「忠義」を前面に出しているところに戦時中映画の匂いがするが、忠義に一本筋が通っている。城主に日ごろから忠義を尽くしている侍に仕える銀平という男が主人公。主人の馬鹿正直な忠義ぶりに疑問は持ちつつも、自らも主人に忠義を尽くしている。この主人がお納戸役に抜擢されたことから、周囲の妬みを買い粗相をしてはいけない法事の準備で意地悪される。
主人が馬鹿にされたことに頭に来て、銀平が侍につっかかっていったり、法事で失態したことで主人が切腹してしまうなど、普通であれば回避されるような流れが、この作品では容赦なく発生する。それが最後、銀平が主人の槍を持って--嗾ける母親に涙する--、単身相手の屋敷へ乗り込むというヤクザ映画のクライマックスのような状況へなだれ込む。槍術に心得があるとは思えない銀平が、ひとりですべて倒すのは荒唐無稽ではあるが、彼に幸福がもたらされる最後はホッとする。
侍の家を好もしく思っていなかった畳屋が男気を見せる場面も見どころ。背後についていた音楽はクラシック音楽の流用だろうか。
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(映画)『冬木博士の家族』(1940年 大庭秀雄) [映画]

「聖戦第一年」から「第四年」までの四幕もの。時代からすると聖戦とは日中戦争のことで、この作品の主人も従軍医師として「第一年」に中国へ行き、最後は近々帰還するところで終わる。
戦争に行っている主人の不在をどう守るかという教育的性質を有する作品だが、まだ人々の暮らしや精神に余裕があったことが見て取れる。
新しく病院を建てるため、設計まで終えたところで、主人公が出征となり、病院はアパートに変更となり、そのアパートに入居してきたさまざまな職業の人たちを描く。脚本は、野田高悟で住人たちのおもしろ可笑しいやりとりに腕を振るっている。(絵描きと若い娘--演じるは朝霧鏡子--のやりとりが特に可笑しかった。)
住人たちが決めごとをするのに会議を開くところは、戦後の民主主義映画のようだったが、集合住宅の始まりは、こうした場を設けるのが普通だったのだろうか。空いた土地を畑にする決議だけでなく、犬に関する統一見解をまとめるところが日本的か。
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(映画)『PERFECT DAYS』(2023年 ヴィム・ヴェンダース) [映画]

渋谷区内に有名な建築家たちによる公衆便所が建てられたことに伴い、それを舞台とした映画を作る企画らしいが、監督が日本人であったら、海外向けの宣伝のようになってしまうところ、ヴェンダース監督を起用したのは慧眼。『東京画』の続編のように、東京の現在の風景を切り取っている。件の作品では、外国人としての驚きの視点があったが、今作では、ヴェンダース監督は日本人になってしまったかのように、主人公の住む墨田区--スカイツリーの位置から推測--を中心とした日常風景を切りとる。(隅田川にかかる橋を好んで撮っていた。)ひとつこれは外国人と思ったのは、主人公が姪などと抱擁する場面。昭和の男--濡らした新聞紙を使って床掃除をするような男--はためらいもなしにそんなことしないだろう。
『東京画』同様、日本の風景はスタンダード画面で撮るのが正しいとの考えがあったと思われるが、今どきの映画館はスタンダード画面用の暗幕設定はないのか、幕が中途半端に開いていた。

劇中にかかる60~70年代の米国ロックを中心とする歌と相まって、見終わった後は和やかな気分になったのだが、反芻するにつけ、この主人公の造形が噴飯ものに思えてきた。
毎日判で押したような日々を立てる禁欲的な人は、ちょっとした人とのふれあいで微笑むものだろうか。孤独な暮らしの中で、若い娘--それも二人--から好かれることなぞあるのだろうか。便所掃除を生業としているといっても、つらい部分は一切描かれていないし、それらはキレイな芸術作品のようだし。(車がエンコしてどう修理したのかという非日常部分は省略されていた。)
日々の何気ない一瞬を愛でるということなのだろうが、それを「完璧なる日々」と称するのはどうか。あと、浅川マキを歌うのは石川さゆりではないだろう。
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