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(V)『惡名市場』(1963年 森一生) [ヴィデオ]

冒頭、清次が詐欺の仲間になって刑務所に入っているところから始まる。朝吉が、清次に罪をかぶせた男を探して四国へ渡る。そこで朝吉、清次の偽物が顔をきかせているのが面白い。
今回朝吉の相手となるのは、ヤクザの組ではあるが、狡猾な詐欺師。いつのまにやら現代的な設定となってきた。朝吉ひとりが奮闘しているところへ、やはり清次が絡まないと面白くないとばかりに、義姉が保釈金を払って出所でき、朝吉に合流するところがミソ。二人は最後、派手な果し合いを受けて立つ。
二人対多をどう切り抜けるのかと見ていたら、朝吉に助けてもらったパチンコ屋の娘--演ずるは嵯峨三智子、が、建設会社の人々を使ってダイナマイトを仕掛けて助けるという派手な展開。悪者はあっさり降参して幕。
特別出演風の藤田まことがどこに出ていたのかと思ったら、最後に派手な上着を着て清次を名乗るニセモノとして登場。
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(V)『第三の惡名』(1963年 田中徳三) [ヴィデオ]

長門裕之に月丘夢路と、日活勢が新風を吹き込んでいる。月丘の胸のすくような啖呵に見惚れたし、長門もひねくれたヤクザが合っていた。
今回朝吉が倒す相手は、かつて若い者に定を殺させた新世界のカポネで、彼がだましとった化粧品会社の商標権を取り返す話。朝吉と清次がキャバレーで暴れまわるのが痛快。田中監督はなるべくカットを割らずに撮ろうとしているようで、撮影の宮川一夫がカメラを移動させてそれに応えている。
定の奥さんのところに居候している朝吉は、まるで主人公のような落ち着きぶりで夫婦のようだったが、女親分と一晩を共にするのも驚いた。
定が死んでから10年という時代設定は、5年以上短くなってしまったような。。
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(映画)『三億円をつかまえろ』(1975年 前田陽一) [映画]

刑期を終えたばかりの主人公が、仲間を集めて農協の金庫破りをする話。
前半で、強盗の計画をし、後半は忍び込んで、制限時間内に金庫が開くかというサスペンスがど真ん中にありつつ、こまかいやりとりで笑わせる。強盗団の笑いだけでなく、守衛---三木のり平が特別出演--や、警備会社からの派遣員まで、笑わせてくれる。
鍵となるのは、金庫の鍵を見事に開けた、今は塾の先生をしている男。若い妻に愛想をつかされ--せっかく伊佐山ひろ子が出ていたのにほとんど出番がなかった--、ひとりで二歳の子どもを育てているので、子どもも五人目の仲間として参加する。その子のおかげで、彼だけ逮捕されずに済んだのは、それにふさわしい立派な仕事をしたということだろう。
この作品が作られた昭和50年、世の不景気はかなり深刻だったようだ。
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(映画)『海女の岩礁』(1958年 森永健次郎) [映画]

海の場面は、御宿でロケしたようだが、海女がたくさんいることに驚く。この作品で助監督を務めている藤浦監督が撮った80年代の海女ものとの時代差を実感する。海女たちは、所属する地区で二つに分けられていて、敵愾心を燃やしている。冒頭から理由がわからない海女の取っ組み合いが見られる。
都会に出て女優をやっていた--ストリップ--主人公が、嫌気がさして戻って来て、とりあえず昔やっていた海女を始める。寄宿している友だちの婚約者候補と相思相愛になってしまい、、という恋愛話に、都会からやってきた悪徳業者が絡むというテンポのよい物語。
.売りは主人公を始めとする海女たちの水着姿ではあるけれど、流れに水を差すようなことはない。彼女への愛を貫くために、漁師を辞める覚悟までする男の凛々しさがよかった。(船の舳先に立つ場面など、二谷英明が頑張っている。)
二人の恋愛を成就させるのに、主人公の友だちを死なせてしまうのは、安易な展開。
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(V)『続・新惡名』(1962年 田中徳三) [ヴィデオ]

監督が田中に戻ったら、初々しい感じがする勝に戻っていた。やさぐれ感は森監督の演出だったか。
前作の続きならば、闇市を巡るヤクザの攻防かと思ったら、闇市時代が終わって、朝吉は簡易宿泊所住まい。(いくらなんでもそれはないのでは。)
今回は、朝吉が靴磨きの少女を助けてそばに置く話と、旅回りの一座を助ける話。清次は一座を騙す芸能事務所の用心棒として登場し、またもつかず離れずの関係。
朝吉はだまし取られたお金を返すためにみたび因島へ出向いていくのだが、女親分は戦後すぐ亡くなっていた!しかし琴糸と再会し。。
朝吉が扱うものが、少女と劇団と小さくなってしまったが、相変わらずの男気と、汚い奴は許さないという正義感が爆発するのが小気味いい。
大事を解決した後、これから何をするのか、とむなしさを抱えて終わり。
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(配信)大工哲弘、ソウル・フラワー・モノノケ・サミット@磔磔(05/08/2024) [配信ライヴ]

磔磔50周年記念とのことで、久々にモノノケ・サミットのライヴが企画された。さらにゲストは大工哲弘とのことで、これは必見だろう。

<大工哲弘>
最初は、大工哲弘の登場。「月ぬかいしゃ」から始まる。
曲間のとぼけたMCは、友川カズキのような風情がある。大工の方がダジャレを言おうとちょっと無理しているところはあるが、とぼけたところがいい味を出している。(75歳との由)
三曲演奏したのち、奥さんの苗子さんを呼んで、彼女の筝とともに八重山民謡を演奏。これこそが芸という感じ。50分のステージ。

<ソウル・フラワー・モノノケ・サミット>
メンバーを見て吃驚した。伊丹英子が太鼓とお囃子で出て来るのはお約束としても、ベースが、河村博司で、太鼓が何と高木太郎。昔のソウルフラワーを見ているよう。クラリネットの大熊亘も参加しているし。(奥野の他にもうひとりアコーディオンが居たのと、太鼓の女性がもうひとり居た。)
モノノケの芸風はいつもどおり。中川の歌も絶好調。英坊のお囃子がそれに負けじと存在感を出していた。
大工哲弘(及び苗子)をステージに呼び込んでからの、「復興節」「東京節」が素晴らしかった。基本は大工が大正時代風味の歌を聞かせ、中川は現代風に歌詞を替えて付けくわえる。
最後はモノノケお馴染みの「さよなら港」から「豊年音頭」で締め。
磔磔は時間の制約があるみたいで、1時間15分で終わってしまったのが残念。

1. 聞け万国の労働者 2. カチューシャの唄 3. アリラン 4. ドンパン節 5. ああわからない 6. 安里屋ユンタ 7. 満月の夕 8. お富さん 9. インターナショナル 10. 復興節 11. 東京節 12. さよなら港 13. 豊年音頭
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(V)『新・惡名』(1962年 森一生) [ヴィデオ]

定も死んでしまったことだし、「新」として新たな設定だろうと思ったら、朝吉が戦争が終わって復員するところから始まり--14年も兵隊生活を送っていた!--、脇の人たちを含めて、しっかり続きとなっていた。
朝吉が、定の奥さんと息子とともに、闇市で雑炊売りを始めているうちに、闇市に娯楽施設を作ろとする土建屋相手に、働いている人たちを取りまとめる親分役になるという展開。彼の人柄によって、自然に統率する立場になるところがミソ。(闇市をやっている三国人を守るというのも。)
定に代わって、新世界でチンピラをやっている清次という弟が登場。(演ずるは当然田宮二郎)朝吉との関係も、ずっと反目していたのが、最後になって土建屋に対する利害が一致して、手を組むのが自然だった。
朝吉が死んだことになり--立派な墓が建てられた--、他の男と再婚してしまった妻を思いきれない彼の様子--妻も彼を忘れられない--を含め、朝吉という人物の魅力がよく出ていた。
勝新が、前作に比べてやさぐれた感じを出していたのは、座頭市を経たからか。
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(V)『続惡名』(1961年 田中徳三) [ヴィデオ]

前作と一緒に撮ったのか、製作陣は同じ面子。もちろん話も続き。話の眼目は、朝吉が度量を見込まれて、遊郭のある縄張りを任され、子分を大勢従えた親分になるところ。普通のヤクザ映画になってしまうのかと思ったら、さにあらず、銭がないと子分を養えないと金の算段で苦労した上に、遊郭の女たちの自由を奪っていることに煩悶して、ヤクザを辞めようと決意する。ところがそこへ赤紙が。。
前作と登場した面々が、皆ふたたび顔を出すのがうまく出来ていた。
雨降る中、奥さんと歩いていたモートルの定が突然刺されてしまう場面の小気味よいテンポ--俯瞰画面を使って--はさすが田中監督。
戦場で「ごっつい出入りや」といいながら、弾をかいくぐる朝吉で締めくくられる。
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(V)『惡名』(1961年 田中徳三) [ヴィデオ]

自分が正しいと思ったことを正面突破でやり遂げる朝吉。やくざな男だが、型式に縛られることはない。そして、彼の人柄に惚れて、組を捨ててまで付き従う貞吉。
物語は女絡みで盛り上がりに欠けるが、二人のやりとりと小気味よさに乗せられる。
因島の女親分の登場場面、暗い部屋から顔が次第に見える演出は、撮影の宮川一夫の腕の見せ所。登場した浪花千栄子が主役二人を呑んでしまうほどカッコいい。朝吉が彼女に叩かれ、それに耐えるのがクライマックスとはなかなか渋い。
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(映画)『オッペンハイマー』(2023年 クリストファー・ノーラン) [映画]

最初の一時間は、若き主人公の勉学時代を経て、ロスアラモスの原爆開発施設を立ち上げるまで。次の一時間は、原爆開発に成功するまで。そして最後は、最初から少しずつ見せていた共産主義者の疑いで主人公が尋問される顛末を見せる。
皆が好む成功物語としては、最初の二時間で十分だが、今の世の中それほど単純ではなく、またノーラン監督自身が、個人の複雑な気持ちの葛藤を描きたかったということだろう。
主人公が何を尋問されているのかわからない状況が最後になって次第にはっきりしてくる語り口はうまく、そこだけ白黒画面となっているのは、原爆開発の動的なドラマ以上に、静的な証言場面を見てほしいということか。アインシュタインが重要な役割を果たしていたが、これは事実なのだろうか。
往年の聖林映画のように、場面が変わっても背後でずっと音楽が鳴っている演出が気になった。
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