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(CD)『あこがれ』(フリーボ) [CD]

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フリーボ8年ぶりの音源。5曲1,050円と軽装だが、中身は濃い。
フリーボは今三人体制だが、ベースの榎戸が参加しているのは最初の「シグナル」だけ。これはドラムスも入ってバンド演奏の趣きだが、
全体にアコースティック・フリーボ。最近吉田と石垣の二人で生ギターで演ってるライヴがそのままパッケージされた印象。5曲、それぞれ趣が少しずつ異なる。
二曲目の「あこがれ」は、二人のギターのアンサンブルが楽しめる曲。さかなを彷彿させる。続く「願い」は、フリーボには珍しく、ピアノを伴奏の主体にした曲。吉田のヴォーカルはピアノでも映える。「かげはひとつ」は、吉田の弾き語りに近い感触。
収録曲はそれぞれライヴで聴いたことのあった曲だが、最後の名曲「空模様」が石垣の曲とは知らなかった。フリーボの活動に対する石垣の思いがでているような曲、といったら大げさか。
吉田の歌は、言葉を大切にするだけでなく、音も大切にしているように聴こえる。あっという間に5曲聴き終えてしまうが、実際の曲の短さだけでなく、終わってしまうのが惜しいような気分がずっとつきまとう。これこそ至福の時間。

(CD)『十(JUW)』(三上寛) [CD]

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またまた気づかないうちにリリースされていた三上寛の新譜。2月のなってるハウスで聞いた数曲は、このアルバムの曲だったとわかった。相変わらず情報少なし。
前回の『吠える練習//白線』から、個別の歌の集まりというより、全体で一つの曲という感じのが強くなった。『吠える練習』は、葉書とか印とかの一般的な名詞が歌のタイトルとなっていたが、このアルバムは、渋谷とか高円寺とかソウルとか、三上がライヴをした場所と思われる地名がタイトルとなっている。歌詞からはそれぞれの場所の情景は、浮かんでこないのだが、三上の中では、それぞれの場所で歌を歌う行為は一期一会で、そのときの気分を歌っているのではと想像される。しかし、「大阪」というタイトルの歌が二つあったりして、曲名よりついている番号で呼ぶべきか。
アルバムのタイトルもJUWと表記されているように、各曲いち、に、さん、し、がそれぞれItinerary、Nice、Sun、Shit、と別の単語で置き換えられている。また、英語のone、two、three、four、もOne-man、Toe、Tree、Fore、と全体だけでなく、単語ひとつひとつにも意識を配っているという詩人三上寛の姿勢が表れているように感じる。「ソウル」には、「SHITに荷をたしゃあQになって」という三上の昔の歌を再構成しようという試みも見られる。
相変わらずのエレキ弾き語り一発取りという感じだが、このアルバムのギタープレイはライヴのようにかなり自由奔放だ。そして、曲調も「ソウル」の楽しいリズムなど、ヴァラエティに富んでいる。全体を通しての流れは、途中でだれることはなく、HATCHの「大阪」(都市伝説!)からFQ「甲府」(女の股の下に富士。!)、最後のJEW「高円寺」への流れで締めくくられる盛り上がりが凄い。最後の歌詞「Jew 9の春 うぐいすの声」で、三上は空間だけでなく、19歳で歌い始めた時間へも旅をしている。
前回から、縦書きの歌詞に一行ずつ、三上の英訳でおなじみアラン・カミングスの訳が併記されている。最近、欧州、ソウルへ歌いに行っていることで、日本以外にも三上を受け入れる人が居ることを意識した造りだ。先日ジャパンタイムズにも記事が載ったようだし。
昨年のVAJRAのライヴも、ほぼ同時に発売されていた。あの日のJAMの混沌とした雰囲気がよみがえるり、音に浸る。

(CD)『歯車とスモークドサーモン』(友部正人) [CD]

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前作の『Speak Japanese, American』は思いもかけずすごくよかったが、今作も負けず劣らず素晴らしい。
このところライヴで演っていた曲、ライヴシリーズ「言葉の森で」で他の人と一緒に作った曲が何曲か収められている。構えて作ったのではなく、ライヴのついでに作ったという感じ。
確かにこれだけ他の人が作曲した曲が多いアルバムは、友部のキャリアの中でも初めてだが、人の歌を歌ったという感じがするのは、ロケットマツの曲だけで、それ以外の人たち、バンバンバザールの福島、フラワーカンパニーズの鈴木圭介、渕上純子らは、友部以上に友部のようなメロディを書いている。これも友部のオリジナリティということだろう。
音は基本的に、友部のギターと、バックは生の最小限の音というスタイルで、音の隙間、空間の広さに耳が向く。レコーディング風景を撮ったDVDがおまけについているが、横浜といわきでは、天井の高い、音が反響しまくる建物の中で録音されたことがわかる。またスタジオでも基本的に全員で音を出すというような方法がこのような音の隙間を現出させているとわかる。そのレコーディングも、パスカルズ全員、バスカルズの主要メンバー、バンバンバザール、ふちがみとふなととのレコーディングと、メンバーと場所を変えて、それぞれ一日、合計四日間でレコーディングをしてしまったように見える。(実際それに近いだろう。)そして、奥さんの小野由美子が友部の歌までも指揮し、プロデュサーとして、八面六臂の活躍をしてた。今でもコンスタントに新アルバムを発表して、全国をツアーしているのは、ユミの存在が大きいのだと改めて映像で確認した。
「年をとるってどんな感じ」、「老人の時間 若者の時間」など、今の友部だから歌えるという歌も新鮮だが、「地獄のレストラン」(名曲、名演!)のように若い頃の友部そのままという曲もある。
ライヴでも船戸博史のベースだけで歌われていた「言葉がぼくに運んでくるものは」は船戸のベースなしでは成立しないような歌だが、ライヴではどうするのだろう。。

(CD)『しあわせのイメージ』(豊田道倫) [CD]


オリジナルアルバムとしては二年ぶりだが、その間にライヴ盤、サントラや古い未発表音源、CDRやらあったので、息もつかずに活動している感が強い。
豊田にしては珍しく、前作から続けて、同じ発売元で、スタジオミュージシャンやエンジニアもほぼ同じで、軽快なバンドサウンドにのる明るい曲調も同じ感触だ。だが、前作がバンドでせーのでコンパクトに作っていたのに対して、今回は曲ごとに必要な楽器、演奏を選んでいて、12曲がバラエティに富み1時間くらいの長さを感じる。(約47分)
最初の三曲に特に耳を惹きつけられるが、一曲目のkyonのピアノだけで歌われる「夢のはなし」は驚いた。これまで豊田の歌で、ピアノをバックに歌われた曲はあっただろうか。せつなさに、美しさが加わった。
中盤は、豊田ひとりの世界が強まる。「マイ・ラブ」の♪犬のように~という歌詞にしびれる。「小さな神様」のメロディの美しさに感心していると、1コード、2コードの曲が続く。このあたりが、豊田の一筋縄ではいかないところだ。歌われている内容が何であれ(子供のことであれ)、現実の世界と対峙する自分、という視点は何も変わっていない。
ふたたび軽快なバンドサウンドの「雨がやんだ」が終わり、いよいよ名曲「このみ先生」へ。初めて豊田のバックをつとめる奥野真哉が、わざとはずしたような旋律を弾くのがいい。このヴォーカルのへたうま感は、奥野の歌と通じるものがある。
年末の発売記念ライヴが終わり、豊田はもう次に向けて走り始めているだろう。


(CD)『空洞です』(ゆらゆら帝国) [CD]


いきなりのサックス、女性コーラスに驚く。さわやかなダンス風音楽という雰囲気。
それが二曲目、三曲目とヴォーカルが背後に隠れていき、だんだんディープな世界へと連れていかれる。
ワンコード、同じメロディの繰り返しという起伏の無い音楽につけられた歌詞も空洞世界を表現する重要な役割を負う。
「何も求めず 何も期待せず」「肉体がない だが まだ死んだわけではない」「たのしももなく かなしみもなく なんとなく夢をもとめている」「しずまれ 意味のない争い」「俺は空洞 でかい空洞」
歌詞の点では、「学校へ行ってきます」と、四曲目の「やさしい動物」が秀逸。先日のライヴで一曲目で演奏されたこの曲、「ドラマーがむんずとバチを握った」「ブラバンがプーとラッパを吹いた」坂本にしか歌えないすばらしい歌詞だ。
六曲目の「なんとなく夢を」から、曲調の混沌は増す。この曲と「美しい」は先行シングルとして発売されたが、全くアレンジが異なる。シングルでは三人で演奏という普段のフォーマットだったが、ここではコルネットやキーボードが全面にでて、三人の演奏は背後に隠れる。間奏での坂本ひとりコーラスから始まって、後半の二声ヴォーカルを聴くと、坂本が分身の術で何人も存在しているような気分に襲われる。怖い。
続く「美しい」では、「ドゥ」というコーラスが歌より大きく聞こえる。不気味だ。この曲でずっと繰り返されるヘンテコなギターのリフは、そのまま次の「学校へ行って来ます」で使用される。尺八がフィーチャーされたこの曲は、ポップミュージックの型からかけ離れている。ライヴで聴いたとき感じたほど大作感はないが、異界に浮かんでいる感覚。
この濃い三曲がアルバムの核だが、それが終わると次の曲で南の島へ不時着したかのような感じ。楽しい踊りの雰囲気、ディスコの感じは「空洞です」へ続く。ここで使われているサックス、女性コーラスは一曲目と同じ雰囲気で、アルバムが円環する。
このアルバムで使われているサキソフォンや尺八などの管楽器はそのまま空洞のイメージだ。音とアルバムのイメージが見事に合致している。
『しびれ』と『めまい』以降、常にゆらゆら帝国は次回作の想像がつかないが、次は「演奏もヴォーカルも別の人が演っているのにまぎれもなくゆらゆら帝国」、なんてアルバムが出ても不思議ではない。

ところで、「あえて抵抗しない」の歌詞カード、「一件」は「一軒」の間違いでしょう。。。


(CD)『オリーブの樹の下で』(響~PANTA) [CD]


公約どおり陽炎アルバムに続き、菊池琢己とのアコースティックデュオ 響のアルバムがでた。
8曲のうち6曲は重信房子の作詞(Leila's Balladeはライラのバラードの英語版だから厳密には5曲。そういえば、アラビア語バージョンも考えているようなことを以前ライヴで言っていたが、それはさすがに実現しなかったか。。)プラス重信メイ、パンダ作詞がそれぞれ一曲ずつ。重信メイの曲は本人が歌っているが、本人からのメッセージが強く伝わる、というよりその歌唱の心もとなさ加減が気になって。。。彼女は日本語より、英語の方が達者なようだ。
重信房子は、自分は40年前のままだ、あのときの気持をわすれていない、周りで闘っていた人たちはどこへいったのか、とうたう。それは昔を懐かしんでいるのではない。彼女にとって過去は現在にそのままつながっている。ライラ・ハリッドをうたうことで、パレスチナの人たちの現状、自分の闘いを訴える「ライラのバラード」は、まさに今聴かれるべき歌だ。すべての曲に美しいメロディをつけているパンタは、重信房子の今の気持を十分理解した上で、歌を作り、作品として世に問うている。
パンタの曲やアコースティックな音は、かつての頭脳警察の音だ。パンタと琢己のギターが右と左に分離し、ぶつかりあうように響いてくる。琢己と二人だけでなく、随所に陽炎のメンバーがサポートしているが、基本、生の音作り。パンタが唯一詩を書いている、これまた今の世に投げかけなればならない「七月のムスターファ」のうなるパーカッションは、まさに頭脳警察。そしてこの曲の阿部美緒のヴァイオリンは、ボブ・ディランの「ハリケーン」でのスカーレット・リヴェラの演奏を思い出す。この曲自体、パンタの「ハリケーン」と言っていい。
ブックレットにある椎野礼仁の歴史年表+解説も充実している。
陽炎、響、と、どうやらまたパンタにエンジンがかかったようだ。このまま陽炎の新作、そして頭脳警察の新作まで突き進んでほしい。


(CD)『CACA』(PANTA) [CD]


未発表曲集の構想がでたのは『P・I・S・S』発売直後だから、かれこれ18年くらい前。パンタ名義のロックバンドアルバムもそれ以来。まさかここに来て本当に実現するとは。。
パンタの雄叫びから始まる冒頭から度肝を抜かれる。この「ムシュフシュ」や三曲目の「Geard」みたいな変な曲を格好良く歌えるのは、パンタしかいない。
それにしても、この冒頭三曲の歌の若々しさといったらどうだ。歌い飛ばしてるといったらいいのか。ライヴでも良かったドラムスのCherryの軽快なプレイが曲にあっている。「アラカルト69」なんていう曲も入れて、70分間大放出。(「朝を呼ぶ男」に続けて、「バクテリア」も、などというのは望みすぎか。。)
歌舞伎町の廃キャパレーを借りて一ヶ月程度で、一発録りのような形で録音されたようだが、設備の整ったスタジオでなくとも今の技術は、これだけ各楽器が分離したいい音になるということか。今回、中山努もあまり全体の音をいじることをしなかったようだ。シンプルなバンドサウンドが2006年の音ということか。ただ「ダマスカス」だけは、あんなキレイな音にせずに「スカンジナビア」のようなモワッとした感じにしてほしかった。
付属のDVDに、その廃キャバレーでの録音模様が収録されているが、最後のクレジットを見てびっくり。なんとディレクターが瀬々敬久!ライヴシーンばかりなので、瀬々ならではというような画面はなかったが。パンタとの関係は?と思っていた矢先、『幽閉者』のクレジットに瀬々の名前もあったので納得。
しかし、DVDならば89年5月の嵐の日比谷野音 カカライヴの模様をおまけにつけてほしかった。あの時の映像は発表されないまま、どこかに行ってしまうのか。


(CD)『land of music』(HEATWAVE) [CD]


ヒートウェイヴの新作。
前作は新メンバーとなって、バンドを再開した勢いが満ちているアルバムだったが、今作は、バンドで録音しているものの、それ以前の何作かのように、山口洋がひとり(実際は細海魚と二人)で作った感が強い。それは、圧倒するようなくっきりとした音とは対極にあるような音作りである。そして山口の歌がかなり前にでている。バンドアンサンブルの妙を期待するむきはライヴで、ということか。
40歳を超えて何を歌うかというのは、山口にとっても大きなテーマだろうと思うが、真ん中に置かれている7分にわたる「フールとクール」は、ひとつの回答といえる。いろいろな動詞や形容詞のみを並べることで、冗漫ではない饒舌な歌詞が、シンプルなメロディに支えられている。
その後に続く、「Wild in the Street」「エスポアール」が個人的に特に気に入った。


(CD)『昼も夜も』(浜田真理子) [CD]


浜田真理子のスタジオ盤としては三枚目のアルバム。やっと出たという感じと、もっと時間がかかるのではと思っていたので、意外な気持ちもある。
林静一のイラストをつかったジャケットがいい。煙草の吸殻をみると、充分に大人の女性なのだが、赤らめたほほや身体が少女のようでもある。
その印象は、そのままこのアルバムに収録されている、大人でありながら、純真な少女のような気持ちを持っているすべての曲-ラヴソング-の主人公のようだ。
歌詞カードを見ると、単純な言葉がならんでいるだけなのだが、ひとたびそれが歌にのって歌われる時、ひとつひとつの言葉が心にひっかかってくる。
たとえば、「風の音」という歌は、極端に言えば「風の音をききましょうあなたと」が繰り返されるだけなのだが、『カナリア』のラストシーンのような草原に立っている姿が浮かんでくる。
「旅路」の「五十センチだけはなれて あなたとわたし 同じ道を歩いていきましょう」には、今の思いだけではなく、未来に向かって開かれている思いが込められている。「スプーンをふたつ重ねたみたいに あなたに抱かれて眠りたい」は、なんて凄い表現だろう。
たまたま皆歌の冒頭を引用したが、浜田の曲作りは、出だしのフレーズが決まると出来るのかもしれないと思うほど、必殺フレーズが並ぶ。
そして、その歌を生かすため、プロデューサーの大友良英は、必要最小限の楽器を選んで、バックにつける。曲によっては浜田のピアノさえ、後ろにひっこんでいるものもある。繊細な音を生かすための、音の空間作り(録音やミックスやマスタリング)にも意が凝らされていて、浜田の世界が120%詰め込まれている。名盤誕生。


(CD)『フォービート・アルチザン---岡本喜八の映画音楽』 『佐藤勝の世界』 [CD]

岡本映画のほとんど(全39作のうち32作)の音楽を担当しているは佐藤勝だが、ひとりの監督にこれほど一人の音楽家ついているのは木下惠介を除けば、ほとんどないのではないか。だから、この岡本映画の全作品の音楽が収録されている二枚組み63曲のCDも佐藤勝の作品集といえるな内容。そこに『ジャズ大名』の和楽器をも入れたデキシーランドジャズの演奏が延々と続く山下大輔の音楽が違和感なく並ぶ。それにしても、2002年に発売されたこのCDよくこんな企画がとおったものだ。『大誘拐』で終わっていた本『kihachiフォービートのアルチザン』を補完している。
もうひとつの佐藤勝映画音楽集の方は、なんと岡本作品は『EAST MEETS WEST』だけというのが、また凄い。佐藤といえば、『用心棒』が有名だが、そのキャリアはブックレットの作品歴をみると500本超に及び、岡本作品だけやっていたわけではないことがわかる。まさに映画音楽一筋。
そしてその音楽は、使用する楽器も含めてかなりヴァラエティに富んでいる。交響曲のような『札幌オリンピック』から始まり、ジャズや、ラテンなどのいろんなジャンルの音楽を取り入れている。この自由度が、また岡本映画の軽快さにマッチしたのだろう。