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(B)『百と八つの流れ星』(丸山健二著 岩波書店刊) [本]

岩波書店から著者が本をだすのは、初めてではないか。珍しい。
著者がときどき言及している108つの煩悩に仮託して、108の短編が並ぶ。各6ページぴったり。短くなっても一行足りなくくらいという著者らしい抑制。同じような形式で書かれた『千日の瑠璃』はこれに比べれば、無理をしている部分があったように見えてしまう。それほど文章も、語り手も自然だ。動物の視点で書かれているものもあるが、あくまでも人間を描く。
108の話に連関はないが、著者の過去の小説の登場人物が再びが繰り返し書いてきた印象がある。6ページの短編が500ページの長編に匹敵するような濃密さも。もうひとつ、これまでの小説以上に、著者自身を思わせるような人物が登場するのも特徴。そのひとつである、「真紅」が特に印象に残った。親兄弟を捨てて家をでる少年が、最後にそんなつもりはなかったはずなのに親に手を振るという自分の中で理解できない行動をしてしまうという物語。その中で父親に対してこう書かれている。
「女子高校で文学を教え、帰宅してからも文学に耽り、家族との絆を深めることには一切興味がなく、その辺にいるくだらない女にちょっかいを出し、やもめの流し目にしてやられることが唯一の生き甲斐で、それこそが文学的な生き方であると信じきっており、家庭内で生ずるちょっとしたごたごたも収められず、いい歳をして母親への思慕を引きずっている駄目な男であることをよしとする、そんな父親だった。」
まるで自分のことを書かれているように読んだ。
108番目の「海へ」は、老人が海へ出るという行為は自由を求める行動であり、著者が海にあこがれていたのは、自由を希求することだったと読めて、最後を締めるにふさわしい物語だった。
自分のことを書かれているように思えた文章をもうひとつ。
「便宜主義に凝り固まった前半生の私は、要するに監禁の身の上と何ら変わらなかった。支配するものと支配される者にくっきり二分される理不尽な世界にあって、猜忌の念を抱いて嫉視しながらも前者に奉仕するしかない、紛うかたなき後者の典型だった。揺ぎない個々の自由、そうしたぐいの権利は、所詮、死文と化した幻想でしかなかった。」(「洞穴」)
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