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(映画)『山のかなたに 總集版』(1950年 千葉泰樹) [映画]

新東宝お得意の再編集して短くした版。もともと、第一部95分、第二部106分とあるから80分も短くなっている。学園ものなのに学校内の出来事がほとんどない上に、後半は--女性軍団の靴屋への団交、生徒同士の喧嘩--は先生の出番もほとんどないのは、面白い挿話を中心に再編集したためと思われる。
舞台は敗戦二年後--標準語でしゃべっているが東北の町のようだ--、映画が作られたのは五年後という時期のため、世の中の民主主義を浸透させる意識が濃厚で、先生だけでなく生徒も全校生徒の前に立って、問題提起したり、自分の意見を主張するという形式を始めとして、女性が一致団結して、大家に意見を通す--アリがライオンを倒すと形容される--のを見て、二年生全員で五年生に歯向かっていくという流れが興味深かった。
最後の15分ぐらいでまとめに入って、恋人同士になる男女が三組出来上がる。一番若い男女の組は、男の求婚を子どもが旗で指南する。そんな複雑な内容を旗で知らせることができないことはわかっているが、字幕で示される指示内容が可笑しい。子どもは途中で飽きて寝てしまって、指示を送っていなかったというのがオチ。
須川監督で10年後に再映画化されたものも見てみたい。
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(映画)『淫らな果実 もぎたて白衣』(2006年 加藤義一) [映画]

看護師の主人公が脳内音声とともにちょっと間抜けなところをみせる構えは宇能鴻一郎式。
しかし、気づいてみれば、気に入った相手を次々に乗り換えていき、興味がなくなった人たちには退場してもらうという、したたかな女性に成長していたというところがミソ。
題名は、男性にひと目惚れすると、果汁が溢れるように「じゅんじゅん」するということで、レモンを絞る映像がご丁寧にも都度挿入されていた。
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(映画)『痴態道楽 熟女発情くりかえし』(2024年 竹洞哲也) [映画]

この作品、昨年末に先にR-15指定の『くりかえし百子』として公開されていた。小松公典のピンク映画百本目の脚本とのことで、浦島太郎の話を取り込んだ野心作。
主人公が助けたカメからお礼に竜宮城へ連れていかれて玉手箱をもらうところまでは昔話をなぞっている。ところが玉手箱が不良品だったようで彼女は死んでしまう。生き返る方法があるのだが、それを試すと別の人の体になってしまい、失敗して何度も違う人の体になって挑戦するというややこしい状況。
荒唐無稽、かつカメやら竜宮城やらごちそう、生まれ変わって別の人になるという設定は、お金がかかりそうなのに、すべてを簡便に済ませ、登場人物は女三人、男三人だけでまとめるという恐るべき力業。
カメとタコと死んでしまった主人公の三人のとぼけた会話が小松脚本らしいが、今回は主人公がいろいろ体験する中で、幸せとは何かを学んで成長するという深い展開。百本目にふさわしくしみじみさせてもらった。
乙姫さまがセックス好きだけどマグロ、というのが可笑しかった。(石川雄也のタコも最高!)
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(映画)『ボディ・アンド・ソウル』(1947年 ロバート・ロッセン) [映画]

才能ある若者が拳闘で王者となったのち、金で身を持ち崩していく様を描く。
拳闘を始めるまでが結構長いのは、母親が反対していたためで、主人公と母親の関係は物語の大きな要素。もうひとつは、途中から彼を食い物にしようとする興行師。金儲け第一主義の冷血漢ぶりが、主人公を金の亡者の世界へ引きずり込む。
彼を救う役割を果たすべき婚約者が、状況によって性格が変わるのが首尾一貫していなかったけれど、クライマックスの試合、劣勢から挽回する場面の熱の入り方や、試合が終わったのち、主人公が彼女を探す場面は『ロッキー』に影響を与えたのでは。
拳闘を始めてから王者になるまでは、練習場面と新聞見出しをカットバックするあっという間の処理で、それまでの遅いテンポが嘘のようにそこから新しい展開となる流れは見事。
試合場面は、外から両者を捉える位置にカメラを置き、それぞれの接写を入れていない分、ドキュメンタリー的で本物らしく見えた。
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(映画)『彼方のうた』(2023年 杉田協士) [映画]

主人公は若い女性で、少し年上の女性と男性にそれぞれ偶然を装って近づく。彼女が一方的に二人を以前から知っていたようだが、それぞれと親しくなることで悩みを解決してあげると同時に、彼女の中にあった蟠りもほどけてゆくという話。と理解したが、悩みとか蟠りに関して一切説明がない。
映画の中で出遭った人々は会話をするのだが、それらはほとんど挨拶に終始し、物語を説明したり推進したりする会話は一切登場しない。背景を彩る音楽もない。他の作品を見ていないが、見る者の思考に多くを委ねるというやり方が杉田監督の特質のようだ。
上田市でロケしている場面は、録音されたテープにあった川の音がどこかつきとめるために、以前テープの持ち主--母親か?--の縁ある場所を訪ねたということのようだが、古い映画館や焼きそばといった地方の観光振興に安易に乗っているだけのように見えてしまった。(食べ物--オムレツなど--が作品の重要が要素のひとつであることはわかったが。)
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(映画)『アンダーワールド・ストーリー』(1950年 シリル・エンドフィールド) [映画]

特ダネをものすることと金儲けに執心する新聞記者が主人公。彼の書いた記事によって情報が洩れ、証人が殺されるという事件が発生し、新聞社をクビになる。彼はそれにもめげず、売りに出ている地方新聞を買収し、特ダネ新聞にしようと画策したところで、ちょうどお膝元で殺人事件が発生。
新聞で、黒人の容疑者を無実だと訴えたり、彼女を助ける会を立ち上げるのもすべて彼の欲望に沿うもので、正義感からではないところがミソ。故に、命が危うくなっても刑事は彼のことを信用していないので助けに来ない。
結局最後まで彼は改心しない。善人である地方新聞社の人たちとの関係が今後どうなるか心配ではある。
主人公が成長しない分、大新聞の社主が放蕩息子を撃つのは社是に従った彼の改心。

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(映画)『あゝ野麦峠』(1979年 山本薩夫) [映画]

「野麦峠」の話は「女工哀史」と結びついて、過酷な労働に従事させられた女性たちの悲劇と理解しており、基本的にはそのとおりだが、そうならざるを得なかった社会背景があったことがわかった。14歳の娘たちは、家にお金を入れるため、家の食い扶持を減らすため、望んで参加していて、「百円工女」になるという目標や、仕事の合間の楽しいひと時などもあったことを活力あふれる映像で描いている。
少女たち個々に起こる悲劇のあとに、それをすぐ忘れるのが日常とでもいうように明るい場面が続くのは、少女たち全体は世界に誇る日本の製紙産業の立役者という描き方。また、経営者側を悪と描いていないため、女性に非道い仕打ちをする男たちに懲罰が下されない。
原作は小説ではなく、取材を基にした事実とのことで、最後に主人公が野麦峠で亡くなるのも本当の話とのこと。彼女の死の知らせを聞いて、女工たちが仕事を放棄する場面はクライマックスのための作劇で、中途半端に思えるところもあったけれど、あの程度がおさまりのよいところ。
冒頭、雪を踏みしめながら山道を歩く少女たちの列を捉えたカメラがズームアウトすると手前の道を歩く少女たちが写り、さらにそのカメラの前を横切る列が現れる画には驚嘆した。
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(映画)『火だるま槐多よ』(2023年 佐藤寿保) [映画]

現代の若者たち--村山槐多に執着する男女と劇団員四人--を描くことで、槐多について語る野心作。佐藤寿保監督の過激さは「火だるま」よろしく火を噴いている。
この作品は、最近の佐藤映画に見られる日常の中の幻想というより、登場人物が世の中を幻想に変えてしまっている感じ。それは、槐多の世界とも言える。
えんじゅ(槐)の木の森にあるアガルタなる地底世界、槐多の自画像ではないかとする「尿する裸僧」、そして小説「悪魔の舌」から導き出された棘だらけの舌が繰り返し登場し、槐多を今の世に召喚する。
(特殊な超能力も駆使して。)
映画全体が、槐多が残した作品から迸る熱量の高さを示しているかのよう。
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(映画)『市子』(2023年 戸田彬弘) [映画]

主人公の市子はあまり画面に登場しない。
冒頭、アパートの部屋から逃げ出す市子。求婚されて喜んでいたのに姿を消してしまったことがわかる。求婚した男が、彼女を知っている人を求めて彼女の過去を辿っていくうちに、彼女の行動が少しずつわかってくる仕掛け。白骨死体が発見された事件もからんで、刑事も彼女を探している。(刑事の聞き込みに男が同席するという昔の刑事もののような設定は微笑ましかった。)
時制や対象となる人物を交錯させて、彼女の人となりを描く手法はうまい。とりわけ説明せずに想像させる部分を多く残しているところが秀逸。それによって見る者は、市子がどのような思いを抱いていたのか想像し、心の痛みを知る。
最後、新しく手に入れた名前で、これから新たな人生を歩いても、同じことが繰り返されそうな部分は気がかり。
省略が見事ではあったが、一度は本気で洋菓子屋をやろうと思ったのをなぜ諦めたのかという部分は知りたかった。
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(映画)『制服ONANIE 処女の下着』(1992年 佐藤寿保) [映画]

客席の後ろに映写機を据えて16ミリフィルムで上映。
まだ電子メールと言わない時代、パソコン通信でやりとりをする時代の話なれど、見知らぬ人との会話、撮影した映像をパソコン上に載せる、ゲームをしているような感覚で人を襲うという設定は、時代を先取りしている。脚本は、PG編集の林田義行で、この頃まで十代だったとのこと。
男子高校生が、パソコン通信で知り合った女性の指示に従って二人の女を襲う。二人とも殺されてしまうのだが、殺したのは彼ではなかったという話。
指示を出している女子高校生は、刃物に魅せられていて、手にすると使いたくなってしまうようだ。彼の出現によって、その性癖が治る展開かと見ていたら、彼はあっさり刺されてしまった。
彼女と刃物の関係をもっと突き詰めた方がとも思ったが、若者だけが持ちうる独特の世界観は見事に刻印されていた。
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