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(映画)『かあさん長生きしてね』(1962年 川頭義郎) [映画]

東京--神田淡路町あたりのよう--のクリーニング店に住込みで働く青年は、青森の十三出身で母は、親戚の家で家政婦として働いている。彼の中華料理屋で働く娘との恋愛話を織り交ぜながら、母親との関係を描く。
雇い主と雇われ人の格差--いくら働いても金が貯まらない--の話が、当時の状況を反映していて、貧しかった時代を認識させる。また、主人公と娘は相思相愛をなのだが、彼女の兄はもっと固い職業の男に嫁がせたいと思っている。(しかし、主人公の母から直接お願いされては、仕方がないだろう。。)
せっかく上京して働き始めた母親が、肺病で帰ってしまうという暗い流れが、最後は呼び戻して東京で治療を受けるという希望ある結末となったのが、とてもよかった。(「保険」が強調されていたのは、これも時代を反映していたのか。)
途中、お盆で帰省する場面で、十三の祭りで「十三の砂山」が歌われる場面は、個人的に大いに注目した。
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(映画)『アリラン ラプソディ ~海を越えたハルモニたち~』(2023年 金聖雄) [映画]

川崎市の桜本地区に住む所謂在日一世の女性たちにカメラを向けたドキュメンタリー。
金監督作は、冤罪に関するものしか見たことがなかったが、金監督自身在日二世で、すでに亡くなってしまった母親と同じような体験をした人たちの話を聴きたいというのが、製作の動機との由。
対象となる人は数人いるが、彼女たちの話を聴くだけで二時間もつのかと見ていたら、カメラを回し始めた1999年あたりからの映像を盛り込みながら、安保法案反対のデモ行進など、盛りだくさんで飽きさせない。
皆で沖縄旅行をする映像もあって、これは余計だろうと見ていたら、何と普通の観光ではなく、現地の戦争の爪痕を見に行くような旅で、まるで『沖縄狂想曲』の続編かと見まがうよう。(米軍が撮った同じ映像も使っていたし、チビチリガマの出来事を説明する知花昌一さんまで登場した!)
映画が終わってみれば、今あるハルモニたちの思いが、個人的な苦難を経た上で、「戦争は二度と起こしてはならない」というところに収斂したことがわかり、そんな彼女たちの思いが、沖縄で戦争で苦しめられた人たちと呼応したということで、この場面は必要だったとわかった。
金監督は、彼女たちの今の様子を刻印することが大切というかのように、個々人の家族や、写していた人たちが亡くなるといった事件をあえて排しているように見えた。
それから、彼女たちの生活を支援する三浦知人という人に個人的に注目した。
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(映画)『沖縄狂想曲』(2024年 太田隆文) [映画]

米軍基地問題についてのドキュメンタリー。ご丁寧にも、琉球王国から始まり太平洋戦争中の出来事まで解説してくれ、二時間で学べる沖縄の米軍基地問題といった態。
そういう意味で、前半部分にあまり見るべきものはなかった。内地の人の声--基地問題に無関心--を紹介する意味のない場面もある。
ところが、真ん中で、なぜかもう一度題名が出てから、日米地位協定に関する話題になったら、がぜん面白くなった。鳩山元首相のインタヴュウや、国会での山本太郎の質問場面が見どころ。北方領土返還交渉が途絶したのは、日米地位協定のせいだったという明解な解説もあった。
これらの背景を解説してくれる前泊博盛、瑞慶覧長敏、屋良朝博、そして知花昌一といった人選が、作品の意図を完璧に保証していて揺るぎないけれど、個人的には、もっと住民の声や、基地に賛成している人の声を入れてほしかった。意味もなく挿入されるオスプレイの映像は減らして。
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(映画)『フジヤマコットントン』(2023年 青柳拓) [映画]

青柳監督の新作は、住んでいる場所の近くにある障害福祉事業所の利用者を写したドキュメンタリー。説明をまったく付さない作り方は、ワイズマン方式だが、ワイズマン監督ならば、事業所の経営にまでカメラを向けるところだが、青柳監督は、利用者にのみ集中する。
真っ白になっている富士山が、すっかり山肌を表したのち、また少し雪の跡が見える様子は、一年近くかけてじっくり撮影されたことがわかり、る人と被写体の間に生まれた親しい関係は、カメラに向かって自然に話をする場面に結実している。
青柳監督の個々の人たちを見つめる優しさを理解したこからこそ、利用者も家族も撮影を許可したのではないか。まさに青柳監督にしか作れない作品。
B型支援である、裏の畑で綿花を育て、それを糸にして織物を作成して販売する事業は、ここならではの特徴で、だからこそ、題名にもなっている。朝のラジオ体操を利用者だけに任せているところも、ここならではと思われ、その場面が微笑ましかった。
織り担当の二人の女性が、互いの服を織り合う場面が見所のひとつだが、完成した服をさりげなく、最後のそれぞれの写真で見せる演出が心憎い。利用者全員が、富士山が顔をのぞかせる方向へ歩いていく最後の場面も素晴らしい。
「仕事とは何か」との利用者の問いに対しては、「みらいファームで自分が熱中できるもの」と回答したい。
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(映画)『私は忘れない』(1960年 堀内眞直) [映画]

有吉佐和子が昭和34年に発表した小説--三島村のホームページは年号が間違っている--の映画化だそう。
著者の意図は、鹿児島県の黒島を世間に知らしめることにあったようで、映画も現地でロケ--船が接岸する港の様子が興味深かった--をし、島の様子や人々の暮らしを紹介することを第一義としている。解説の音声は、小説の地の文を読んだのだろうか、島に関するさまざまな情報提供をしてくれ、ドキュメンタリーの趣きがあった。
とは言え、創作話にした意味は、たとえば島にある二つの村の仲が悪いため、それぞれの村出身の男女に悲劇がもたらされるとか、嵐によって命の危険が生じる状況、病気になったら死を覚悟しなければならないなど、ドキュメンタリーよりより切実に見るものの心に響く。
島の状況を描くことに力を注いだため、ドラマとしての主人公の恋愛話は、中途半端で、心を癒す旅--たったの十日間とは思えなかった--から東京へ帰った女性も、島にTVを贈って終わりとは、「遠地」に赴任させられた先生がちょっと可哀想だった。「忘れない」のは、彼のことではなく、島とそこに暮らす人々が居ること。
鬼の面をかぶって、櫂のようなものを持って踊る、現地の伝統芸能も写していた。
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(映画)『春らんまん』(1968年 千葉泰樹) [映画]

吉村公三郎監督を『婚期』を脚色したもの。大映の女優陣に負けず劣らず、こちらの東宝女優陣も豪華。
長男と結婚して家に入って来る女性を演じる女優の違い--前者は京マチ子で、後者は新珠三千代--で、こちらの嫂は健気に頑張る控え目さによって、長男を中心に物語が運ばれる。
この長男が、愛人を囲ったりしているのだが、こそこそしておらず憎めない。(両親不在の家庭にあって、父親の役割を果たしていることもある。)
次女、三女にいじめられて可哀想な嫂が起死回生の反撃に出るのが、大勢の前で、ケーキを顔にぶつけるという派手な見せ場。
最後は、次女が思いがけず結婚するの流れとなって、14回見合いをした彼女が花嫁衣裳で「おまたせしました」と言って幕となるハッピイエンド。まさに春爛漫。
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(映画)『続浪曲子守唄』(1967年 鷹森立一) [映画]

前作で刑務所に入った主人公が出所してくるところから始まる。刑期は一年だったようだが、子どもを訪ねると半年前に引っ越したという。子どもとは祭りの場ですぐ会えるのだが、面倒を見てくれていた娘がどこへ行ったかわからず、主人公はテキ屋になって娘を探すことにする。
それで北の町で祭りの場をしきるやくざ同士の争いに巻き込まれるのだが、女郎屋に売られた娘ともそこで再会することになる。この作品は、主題が父と子であるため、主人公と子どもとの交流場面をたっぷり見せ--討ち入りに行くまえの雪合戦が泣かせる--、主人公と女性たちの間には何も起こらない。
どこでロケしたのか知らないが、北の町の雪景色が映画に情感を出す。
弱小の組の番頭役をアラカンが演じていて、見せ場がないまま終わるのかと思いきや、主人公の単独討ち入り場面に助っ人として現れる。ここでアラカンが死ぬ展開かと見ていたら、傷を負ったが無事生き残り、相手方の殺し屋が彼の息子だったという意外な展開。ここでも父子という主題を出したかったのだろう。その息子が犠牲となって、相手方は全滅する。
番頭が罪をひとりで背負ったはずなのに、主人公が子どもを預ける行為がよくわからなかったが、結局、子どもが追いかけて来て連れて行くという、最後にもう一回親子の情を見せるダメ押しがあった。
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(映画)『娘三羽烏』(1957年 穗積利昌) [映画]

三人娘が顔見世する最初が秀逸。飛行機の客室乗務員、外国自動車の販売員、京都から出張帰りの雑誌記者。飛行機、自動車、電車と違う乗り物を使って三人とっも職業婦人であることを簡潔に見せる。
三人は姉妹だと思って見ていたら、途中で友だちだったことがわかる。三人が伴侶を見つける話なのだが、結婚に強い願望を持っているわけではなく、三人とも男性に対して自分の気持ちを明け透けに告白するところが、仕事を持っている部分と相まって新しい時代の女性を感じさせる。
最後は、二人が次々と相手を射止め、さて三人目もと思ったらそこはうまくいかない。同時に結婚式を挙げる--場所はニコライ堂!--二人が、式を抜け出して協力して、三人目も無事相手と結ばれるという結末。
それぞれの男女が接吻しようとすると邪魔が入るという形式が何度も繰り返され、微笑ましかった。
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(映画)『山のかなたに 總集版』(1950年 千葉泰樹) [映画]

新東宝お得意の再編集して短くした版。もともと、第一部95分、第二部106分とあるから80分も短くなっている。学園ものなのに学校内の出来事がほとんどない上に、後半は--女性軍団の靴屋への団交、生徒同士の喧嘩--は先生の出番もほとんどないのは、面白い挿話を中心に再編集したためと思われる。
舞台は敗戦二年後--標準語でしゃべっているが東北の町のようだ--、映画が作られたのは五年後という時期のため、世の中の民主主義を浸透させる意識が濃厚で、先生だけでなく生徒も全校生徒の前に立って、問題提起したり、自分の意見を主張するという形式を始めとして、女性が一致団結して、大家に意見を通す--アリがライオンを倒すと形容される--のを見て、二年生全員で五年生に歯向かっていくという流れが興味深かった。
最後の15分ぐらいでまとめに入って、恋人同士になる男女が三組出来上がる。一番若い男女の組は、男の求婚を子どもが旗で指南する。そんな複雑な内容を旗で知らせることができないことはわかっているが、字幕で示される指示内容が可笑しい。子どもは途中で飽きて寝てしまって、指示を送っていなかったというのがオチ。
須川監督で10年後に再映画化されたものも見てみたい。
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(映画)『淫らな果実 もぎたて白衣』(2006年 加藤義一) [映画]

看護師の主人公が脳内音声とともにちょっと間抜けなところをみせる構えは宇能鴻一郎式。
しかし、気づいてみれば、気に入った相手を次々に乗り換えていき、興味がなくなった人たちには退場してもらうという、したたかな女性に成長していたというところがミソ。
題名は、男性にひと目惚れすると、果汁が溢れるように「じゅんじゅん」するということで、レモンを絞る映像がご丁寧にも都度挿入されていた。
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