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(B)『いまだ人生を語らず』(四方田犬彦著 白水社刊) [本]

12年前に同じ出版社から出た『人、中年に到る』の続編的内容で、さまざまな主題について、著者の今の心境や考え方を述べる。大学を辞めてから、自らがすべきことを俯瞰的に見ている感がある。また、最後の時を見据えた準備とか心構えも端々に感じられたのは、中年時と違うところ。
出色だったのは「秘密」についての章で、けっして他の人にしゃべってはいけないという点と、秘密が存在していると信じ込み、不毛な探求に生涯を費やしてしまうことがあるという点は、これまで深く考えたことがなかったかので、なるほどと感じ入った。
自伝ではないが、老人指南書と勘違いしない題名は、なかなかうまい。
パゾリーニの本を出し終えた著者は、軽やかな筆致で自分の書きたいものをどんどん書いているようで、今後も新作が続きそうなのが楽しみ。
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(B)『大泉黒石 わが故郷は世界文学』(四方田犬彦著 岩波書店刊) [本]

著者が大泉黒石の評伝をものする話は、以前の著書などで目にしていて、とうとう出たかという感じ。黒石の名前は、もともと著者によって知ったのだが、西村賢太の著書でも目にしたことがあり、どのような人か興味を持っていた。
この本は、黒石の生涯を著書の紹介とともにたどる正統的な形式を取っていて、世間にあまり知られていない人なればそれが有効と言える。とはいえ、黒石の文学の基を、トルストイとトルストイを通じて知った老子に求めるところは著者ならではの視点。
また、副題になっている「コスモポリタン」という点が、著者を惹きつけたとともに、今の世の中なればこそ、再評価され得る人ということになる。
大学院生の研究論文のような内容を、読みやすく、しかも濃い内容にさらっと仕上げてしまう、これも著者の力業。
表紙の黒石の写真は、大泉滉のうら若きころの写真といって通りそうな美男子ぶり。
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(B)『風死す』(丸山健二著 いぬわし書房刊) [本]

各巻550頁前後で、四冊合わせて2,260頁。『我ら亡きあとに津波よ来たれ』あたりから著者が指向していたものが、当該作二巻建て、『おはぐろとんぼ夜話』は三巻、そして『ブラック・ハイビスカス』が四巻となって、今作でその形式の完成をみた。著者の指向とは、物語よりも語り手の意識の流れをそのまま書き記すことであり、そうすると終着点がなくなってしまうので、形式という枠を作るところから始める。各行を始まりを二文字ずつ下へずらしていき、三文字の行まで来たら、また上から同じことを始め、二回転して初めて句点を打つ。この塊を数回繰り返した最後の文を「風死す。」で締めて新しい章へという形式で四巻分。
主人公は26歳の泥棒。盗むために人を殺すことも厭わない性格--その始まりは養父母を殺したところから始まる--で、その彼が末期ガンに罹って死に近づいているという状況以外、特にドラマはない。著者の作品で一番物語性が薄いのではないか。その分、語り手が主人公のときはまだしも、神の声が語っているような箇所は、あちらこちらに話が跳んで、難しい文章ではないのに、頭に入ってこないことが多々あった。それこそが頭の中の流れということだろうが、行きつ戻りつ一行ずつ味わっても味わいきれない。何度も繰り返し読むことを求められているようだ。
それにしても、著者最後の長編だというこの作品、読んでいる人はおそらく百人にも満たず、もちろん専門家から批評が出ることもない。これが現在の日本の文学界の状況で、著者は「風死す」に「文学死す」を託して、この作品をもって文学が本当に死んだことを宣言しているのではないか。
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(B)『皆殺し映画通信 死んで貰います』(柳下毅一郎著 カンゼン刊) [本]

2022年分で特筆すべきは、見た作品が三本もあったこと。ただ、『Revolution +1』と『夜明けまでバス停で』は、「皆殺し映画」というより、前者でやってほしかったことを後者がやっているという流れで登場する。著者の指摘するとおり、確かに若松監督であれば、何がなんでも国葬の日に公開を間に合わせただろう。
皆が知る大作の数が少ないようにに感ずるのは、この企画の趣意に照らして、皆が知らないトンデモ映画を追いかけるのを優先しているから。
前年同様、後半部分は二回分の講演の様子を収録したもので、実際に配信で見ていたが、「まち映画」を三十本も作っている藤橋誠監督の明確かつ真摯な態度--普通、著者と初対面で斯様な場所に出てこないだろう--にあらためて感銘を受けた。
今回も価格がしっかり百円上がっている。
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(B)『アメリカ映画に明日はあるか』(大高宏雄著 ハモニカブックス刊) [本]

著者がキネマ旬報に連載している「ファイトシネクラブ」から米国映画に関する文章を集めたもの。2000年から始まっていて、DVDではなく「ビデオを買う」などという部分に世の中の変遷を感じる。
著者の映画鑑賞は、特にハリウッド大作映画の場合、混み具合を予想しつつ、劇場、時間を決めるところから始まる。事前にネットで状況を確認したり、席を予約するなどはしない。満席で見られない場合もその時点で善後策を考える。こうすることによって、興行に対する勘が養われ、人々の映画の嗜好の変遷を膚で感じることができる。そこから見えてくる作品全体の評価は、誰も真似できないものだ。
米国大作映画から遠ざかっている私にとって、興味を強く惹く内容ではないけれど、著者の映画に対する鑑識眼に一目置いているので、その点興味深く読んだ。採り上げられている作品のうち何本か見てみたいと思うものもあったし。
日本映画に関する文章を集めた次作も期待したい。
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(B)『日活ロマンポルノ 性の美学と政治学』(志村三代子、ヨハン・ノルドストロム、鳩飼未緒編 水声社刊) [本]

「ロマンポルノの学術論集」。文字通り、各論文を執筆している人たちが皆大学の先生で、それゆえ「政治学」などという大げさな題名がついているのだろう。(当時の反体制的な姿勢や検閲を念頭においているらしい。)と構えは厳めしいが、収録作いずれも切り口が新しく、非常に興味深く読んだ。
谷ナオミ論は、彼女が演技者、観客からの受容、会社の方針という多面的な視点から作り上げられた奇跡的な存在であったことが理解でき、『(秘)女郎責め地獄』に取り入れられた文楽の具体的な分析は、田中監督の意図したことがわかり、再見せずにはいられない。神代映画の音楽については、普段から気になっていたところを見事に文章化してくれた。
そして、この本の白眉といえるのは、各執筆者の専門分野を生かした二つの論文。前者は桐かおるの作品を取り上げた「レズビアン・ストリップ」に関するもの、後者は映画館が「ハッテン場」として活用されてきたことを論じるもの。とりわけ後者は映画の枠組みを超えているが、桃色映画ならではの部分であり、研究対象として取り上げるのは大したもの。(実地研究が不足している感はあるが。)
日活がスウェーデンで作った--その前に四作品他の会社が同様の体制で作っていたとは初めて知った--二作についての製作状況についても、現地の当事者を探してよく調べたと感心するとともに、下記部分は、ロマンポルノ全体を表象するものとして、すこぶる重要。
「『レイプによって女性の中の性的な欲望が目覚める』といった神話は、日本の性的な映画が持つ独特の文脈であろう」
巻末の関係者へのインタヴュウもいずれも興味深く読んだが、中でも根岸監督が、ロマンポルノについて語っているのはあまり目にしたことがなく、全体を客観的に分析している視点も含め面白かった。
また、ロマンポルノの末期に入社してまだ現役の日活社員三名は、彼らのような人が残っているゆえに、最近発売されているヴィデオ化作の中に、思わず飛びつきたくなるものが含まれているのかと納得。
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(B)『「わたしのはなし 部落のはなし」の話』(満若勇咲著 中央公論新社刊) [本]

映画を見る前に本を読むのは反則なのだが、見に行こうと思いつつも、普段より高い料金に二の足を踏み行かなかったため、せめて本でもと。。
そうしたところ、著者である監督がどうしてこの作品を作るに至ったかという経緯が、処女作の失敗から始まり、作品の方法論・技術論まで、思索の過程も含めて具体的な言葉で書かれていることに大いに感銘を受けた。
大学生時代、原一男監督から受けた指導のことや、著者の思考の種となった映画作品や本などの例示も、著者の人となりが伺い知れて大変興味深かった。
「『ことば』によって被差別部落が作られてきた以上、『ことば』を作り出す社会や文化が変わらない限り、そう簡単に差別が消えることはないだろう。」とは、すぐれて卓見。
著者の今後の作品に大いに期待するが、そのまえにこの作品をぜひ見なければ。
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(B)『蝙蝠か燕か』(西村賢太著 文藝春秋) [本]

まだ単行本に収録されていなかった近年の短編を三作収録。
注目すべきは100頁ある表題作。雑誌発表時に一読していたが、今回改めて読み直すと、藤澤淸造に関する自分の思いを総括したような内容は、まるで遺書のように感じられた。出だし数頁は特に、馴染みのない古い言葉が多用されていて、書き出しの推敲への力の入れ方が伺える。
貫多が2021年1月の「一人東京清造忌」の場で、2019年からの自分の活動を振り返り、最後は2021年8月1日に同じ場所に立つところで終わる構成は、もっと洗練する余地があったように思えたが、書きたいことをすべて入れることを優先させた結果かもしれない。
著者は通常、出版社や雑誌名に仮名を用いるが、この作に限って本当の名前を使っているところにももはや忖度不要といった意図を感じてしまった。(単行本化する際、仮名に変更するつもりだったのかもしれないが。)藤澤清造の全集を作るのは自分が一番欲しいからということなら、未刊行のまま終わっても、外野がとやかく言うことではない。
他の二作は、20、30頁の小品だが、両作とも他人の不誠実をなじる貫多の本音が出るところがクライマックスところが、著者おなじみであると同時に、怒りの収め方に著者の心境の変化があるようにも思えた。
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(B)『コミカライズ魂』(すがやみつる著 河出新書) [本]

「コミカライズ」なる言葉は、昔からあるような気がしていたが、著者の調べによれば2000年代に入ってからというのが意外だったが、言葉を聞いて自然に思い浮かぶものがあるからそう感じたということか。すがやみつると言えば、仮面ライダーの漫画で、その名前に惹かれてこの本を読んだ。
石森章太郎の下で70年代前半に描いていたころの記述が、全体の半分以上を占め、いかに濃密な時間だったかわかる。自分だけでなく、石森章太郎や、周囲の漫画家の仕事、加えて自ら漫画家として拠って立つところまで書かれていたのが興味深かった。映画や本が血肉となり、落語も参考にしていたという勉強家ぶり。アメコミを参考にしていたというのも、当時の漫画家にはなかった要素だろう。
著者の大藪春彦の小説に対する偏愛、さらに世間でどのように受容されていたかという話は興味深かったし、日活アクション映画を英雄譚として見ていたという感受性が、仮面ライダーの漫画に接した子どもたちに響いたのではないか。
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(B)『ボブ・ディラン』(北中正和著 新潮新書) [本]

題名で惹きつけて購買意欲を掻き立てる世の中にあって、副題もないこの単純さは珍しい。
「おわりに」に「ボブ・ディランの音楽についての入門書」とあるように、第三章までは、よく知られる歴史をたどる内容。著者はディランを、さまざまな音楽から「影響を受けたら、それを咀嚼して新しい視点を加えて作り替えることに長けている人」と評価し、彼の歌づくりの基となったブルース、伝承歌などについて丁寧に解説している。中でも、フランク・シナトラの歌を取り上げることとなる背景を説明した第6章が興味深かった。(シナトラとディランが二人で話をしたという逸話は、映画の名場面を見ているかのよう。)
また、著者が実際にディランと対面して取材した挿話を、さりげなく入れて締めとしているのは、なかなかの技。
疫禍の最中のディランの配信や、その後の演奏活動の再開、本の出版についても言及してほしかったところ。
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