(V)『東北の神武たち』(1957年 市川崑) [ヴィデオ]
「神武」というのは神様でも武士でもなく、農家の次男は「ズンム」と呼ばれて、一生嫁ももらえず、畑仕事に酷使されるという可哀想な風習のことだ。長男と区別するために、髪の毛や髭は伸ばし放題にしなければならない。
ズンムの中でも主人公は口が臭いので、さらに嫌われている。この臭いというのを映像で見せるのは、なかなか難しいが、主人公が近づかれた人は、皆まず顔をしかめる、といった演出がうまかった。
深沢七郎の原作は未読だが、禁忌ともいえる民俗を掘り起こすような内容。それをまたどのような経緯で映画化することになったのか。当時大映所属の市川が脚本も書き、東宝で撮っているし。
夫の遺言により、残された妻(浪花千恵子!)がズンムと毎夜かわるがわる交わっていき、自分の番をどきどきしながら待っている主人公が可笑しかった。結局口臭によって自分だけ仲間はずれにされて、村を出て行く--それも氷の山を越えた向こうに娘だけの村があるという年寄の話に乗って--ことになる。
ひとりの老婆だけがきのこ(東北でもりこぼうと言うのだろうか?)の場所を知っているというエピソードは今村の『楢山節考』に使われていた。それまでロケだったのが、最後の雪山は劇のようなセットで、こちらは木下惠介の『楢山節考』を思いだした。
ズンムの中でも主人公は口が臭いので、さらに嫌われている。この臭いというのを映像で見せるのは、なかなか難しいが、主人公が近づかれた人は、皆まず顔をしかめる、といった演出がうまかった。
深沢七郎の原作は未読だが、禁忌ともいえる民俗を掘り起こすような内容。それをまたどのような経緯で映画化することになったのか。当時大映所属の市川が脚本も書き、東宝で撮っているし。
夫の遺言により、残された妻(浪花千恵子!)がズンムと毎夜かわるがわる交わっていき、自分の番をどきどきしながら待っている主人公が可笑しかった。結局口臭によって自分だけ仲間はずれにされて、村を出て行く--それも氷の山を越えた向こうに娘だけの村があるという年寄の話に乗って--ことになる。
ひとりの老婆だけがきのこ(東北でもりこぼうと言うのだろうか?)の場所を知っているというエピソードは今村の『楢山節考』に使われていた。それまでロケだったのが、最後の雪山は劇のようなセットで、こちらは木下惠介の『楢山節考』を思いだした。
2009-07-28 07:39
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