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(V)『花咲く部屋、昼下がりの蕾』(2019年 城定秀夫) [ヴィデオ]

たくさんの花で埋め尽くされた部屋に、出会い系サイトで知り合った男を連れ込む彼女は何者か。そばで見ている夫らしき人物は、どうやら幻らしいと見ているうちに、二人の間に起きた以前の出来事が語られていくという仕掛け。
城定映画の主人公らしく、最初はメガネをかけていた彼女が、メガネを止めるのは、不能になってしまった夫を喜ばすため、他の男に抱かれることに、彼女自身も快楽を感じるようになったから。
部屋に置かれていたのは、夫が入っている棺桶であることがわかり、そこにキレイな花が咲き乱れていることに慄然とする。
それは彼女の夫に対する愛の深さの象徴であるが、最後、もうひとつダメ押し的な展開が欲しかった。
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(V)『復活』(1950年 野渕昶) [ヴィデオ]

時代は戦争に向かう昭和十年代。「若」と呼ばれる子爵が、家に立寄った際、可愛い女中を手籠めにしてしまう。翌朝、彼女の手に百圓札を握らせて、何事もなかったかのように去っていく。この百圓札を彼女が最後まで持っているところがミソ。
子を孕まされた彼女は、次に彼が帰って来た時、大雨の中、汽車に乗っている彼に会いにいく。車内で芸者を侍らせて楽しそうにしている彼と、外でずぶぬれになっている彼女の対比が、彼女のみじめさを強調する印象的な場面。
この非道い男を小林桂樹に演じさせている意図は、兵役を終えて帰ってきた彼が、改心して、子爵の地位もも捨て、彼女のために尽力するようになるからだ。
この作品は、基督教を下敷きにしていて、肝となるのは、主人公が悩みながら、自分の進むべき道を模索するところにある。一旦は、彼のまごごろを受け入れて結婚する道を選ぶかと思われたが、最後は、伝道師たる尊敬する先生に従って、北海道行きの船に乗ってしまう。
船の上で、百圓札を破ったのは、彼の思い出とともに古い自分を捨てたということ。安易なメロドラマ的結末にならなかったところに感心した。
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(V)『戰艦大和』(1953年 阿部豊) [ヴィデオ]

日本が米国から独立した翌年にもうこれが作られたというのは、大和の物語は、日本人の琴線に触れるものなのだろう。この作品もその路線に乗って、玉砕を当然のこととして出航準備をする乗組員たち--若い兵士たちは船に乗せないという決断も--の様子を黙々と描く。部下思いの官たちが、みな自分の立場をわきまえて行動する様が胸をうつ。そして、「生き抜いた者こそ、真実次の戦争を欲しない」という反戦の主張で締めくくられていた。
戦闘場面の特撮はよく出来ていたし、船をどう大きく見せるか--甲板に多数の人が整列している画!--という工夫が随所になされていた。
應援監督の松林宗惠--應援撮影もいた--は、これが『連合艦隊』につながる戦争ものの初めだったか。
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(映画)『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』(2023年 井上淳一) [映画]

劇中、「新藤兼人監督が、誰でも自分を描けば、一本は傑作を創ることができると言った」というセリフがあったが、井上監督は、見事にそれを実践してみせた。
1983年に若松孝二が名古屋にシネマスコーレを作った時代の話で、主役は木全支配人と、名古屋で浪人生をしていた井上監督自身。若松監督は、二人の触媒としての役割で、彼を真似た演技が大いに笑わせてくれる。前作は吉積めぐみを主人公としてしまったが故に、笑いを前面に出すわけにはいかなかったが、喜劇的要素を強くしたことで、前作より面白かった。笑いながらも、随所に登場する支配人、井上、若松それぞれの映画観に大いに首肯する。(大林の映画なんかなんでかけてるというセリフに笑った。)
しかし、この映画の肝は、実在したのかわからないが、映画館で働く、在日の金本という女性の存在。
映画を撮りたくても何もできなかった彼女が、井上に対して向ける嫉妬の視線が、彼を客観的に捉え、彼自身に自省を迫る存在となっている。年長の木全支配人に存在も生きてくる。
最後におまけのような、若松監督は、天国で亡くなった人たちと会っているという挿話はすこしやりすぎの感はあるが、足立に電話をする場面など、若松監督への思慕が全編に漂っているところもよかった。
井上監督--実質は若松監督か--が撮った、河合塾の映画は、エンドロールで少し見せてくれたが、全編見られる機会はないのか。また、その映画に出ていた赤塚不二夫役の吉岡睦雄は、まことに適役だった。
かっこいい音楽をつけたのは、何と宮田岳!今のシネマスコーレの顔である坪井篤史もしっかり出ていた。
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(映画)『男度胸で勝負する』(1966年 村山新治) [映画]

時代は昭和の始め。場所は特定されていないが、川越あたりでロケをしたのではないか。
前年に公開された『昭和残侠伝』の脚本家、山本英明と松本功による物語は、同工異曲。主演こそ違え、池部良が二番目の位置にいるのも似ている。この二人と、父親役の辰巳柳太郎を交えて、肉親が対決しなければならなくなるという流れ。(池部が住んでいるのは、川崎大師の近く。)
最後は、周囲の人をすべて殺された主人公が、堪忍袋の緒を切って相手の親分を殺すのだろうと見ていたら、ためらったまま止めてしまうという現実感ある終わりが面白かった。(ヤクザの家を飛び出した娘で締めくくったのも、ヤクザの虚しさを表していた。)
村山監督は、ヤクザ映画の続き物監督には組み込まれなったけれど、気持ちの動きを丁寧に見せていた。
三木稔なる音楽家を意識したことがなかったが、本作では、尺八や琴などの和楽器を複数ならして、現代音楽のような曲を付けている。これが、ヤクザの義理人情の世界で不自由を強いられる登場人物や、所詮は皆犬死にの運命にあるという厭世観を出すのに、うってつけ。
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(映画)『わたしのかあさん-天使の詩-』(2024年 山田火砂子) [映画]

現在養護施設の院長をしている女性が、知的障がい者であった両親のことを回想するという内容。
説明がかったセリフや、いかにもという演技と先の読める展開は、教育映画を見ている気分になったが、話の中心となる、回想場面での母親--常に明るい--と小学生だった主人公とのやり取りは無理がなく、素晴らしかった。殊に、主人公が母親が障がい者だったと知って、衝撃を受け、周囲に本音をぶつけるところは、身につまされる迫真ぶり。演じる、落井実結子なる子役が完璧。
徘徊老人、障害者年金を当てにする親、ウクライナ戦争反対など、話の主題と外れたものまで言及していたのは、92歳だという山田火砂子監督が、主張としてどうしても入れ込みたかったのだろう。
主人公は、母親と二人の写真を何度も見て、彼女のことを回想していたが、父親がどうなったのかは、描かれず仕舞い。
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(映画)『戦雲(いくさふむ)』(2024年 三上智恵) [映画]

本ドキュメンタリーは、ここ6、7年くらいの間、沖縄の各島に防衛省がミサイル配備を進めている様子に焦点を当てている。
まず、順番に与那国島、宮古島、石垣島の現状を、それぞれに暮らす人たちの視点から紹介した上で、そのあとは、それらの人を往還する形で、状況の進展を見せ、沖縄本島の状況も触れている。
斯様な内容であれば、専門家のインタヴュウで本当にミサイルが必要なのかを補強するものだが、住む人々の反応をつないで行けば、そんなものは必要ないという三上監督の姿勢はあっぱれ。
憎むべき組織として対峙している防衛省についても、与那国島のハーリー競争で、漕ぎ手に加わった自衛隊員たちを写すことで、我々は国に向かって声を上げていかなければいけないことに気づかされる。このハーリー競争の場面は、重苦しい話の閑話休題にもなっていて、とても楽しい。
また、ひとりカジキ採り挑む「老人と海」の主人公のような年取った漁師は、自衛隊について必ずしも反対ではない。しかし、見る者は彼の生活を奪うことは許されないという思いでいっぱいになるのだが。彼が、足のケガが癒えたのち、初めてカジキを仕留める場面を最後に持ってきたのは、島で暮らす人々を活写するこの作品の、見事な大団円となっていた。
楽器の数および音数の少ない印象的な音楽は、何と勝井祐二だった。
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(B)『香港で文化を創り続ける』(ダニー・ユン、四方田犬彦著 弦書房刊) [本]

2018年1月に福岡で開催された、香港の舞台監督ダニー・ユンの最近の自作を紹介する公演と、四方田犬彦との対談を採録したもの。
香港市民の反中国姿勢が強まる前の時期ではあるが、ユン監督のやってきたことからは、中国政府関係者と対話を続けて、創作を発表する環境を整えてきたことがわかる。中国政府は一方的な悪ではなく、対話を進めれば、何らかの解決策が見いだせるということ。
総括として書かれた四方田の書き下ろし解題に追記された文章--2020年11月記--では、その後の香港の状況も踏まえられて、ダニー・ユンの今後の活動を憂慮していて、のほほんとしている我々が狭い世界に閉じこもっていることを教えてくれる。
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(V)『おとぎ話みたい』(2013年 山戸結希) [ヴィデオ]

「だって、いつでも笑ってばかりの君へ」という副題付き。
女子高生である主人公の脳内音声で話が進むが、早口で語られる彼女の心理は、高校生の性急な思い詰めたような気持ちをよく表していたし、51分という短い上映時間を濃密なものにしていた。
地方の高校で、世界の文化--ダンスや哲学--を教えてくれる先生に出合い、恋するという話に、彼女がバンドの「おとぎ話」の演奏とともにライヴハウスのステージで踊っている場面が挿入される。「おとぎ話」が映画の内容にふさわしいバンドかについては少々疑問はあったが、個人的にはとても楽しめた。やっぱり曲がいいし、一体感のある元気な演奏に惹かれる。
先生は、彼女のことを生徒以上に考えたことはないと回答していたが、最後にふと見せた涙は、やはり彼女に対して特別な感情を抱いていたということなのだろう。
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(V)『団鬼六 薔薇の肉体』(1978年 藤井克彦) [ヴィデオ]

団鬼六ものかつ浦戸宏が緊縛で協力してはいるが、SMものではない。(途中、弁護士が突然女王様にいじめられたい変態ぶりを発揮するが。)ヤクザの情婦が、弟分とその彼女とともに、組から受ける嫌がらせを我慢しながら、夫の出所を待っている。借金返済のためにシロクロショウ--ホテルの部屋の魔法鏡を使って行為を見せる--までやっているのだが、組は彼女を弁護士の情婦にしようと画策するので、三人はアパートを借りて身を隠す。
話の骨はヤクザ映画で、大野武雄なる今作でしか名前を見ない脚本家も、ヤクザものが得意な作家の変名かもしれない。暑い中、アパートに身をひそめる三人の様子は、真に迫っていた。
出所した夫は会う前に殺されてしまうが、いなくなっても夫の体は忘れられないというのが結末。とはいえ、弟分も殺されて、起死回生もないまま終わるのは、すっきりしない。
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