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(V)『エピデミック~伝染病』(1987年 ラース・フォン・トリアー) [ヴィデオ]

ラース・フォン・トリアー監督は、『5つの挑戦』にあった映画製作をネタにしたドキュメンタリーと創作の中間のような内容は、この初期作品で試みていたことがわかった。
せっかく書いた脚本のデータが消えてしまい、脚本家と二人で伝染病が蔓延した世界を舞台にした脚本を考え始める。脚本の案を出す二人と、それを映像化した物語を交互に見せる。
監督本人が映画の中で「革新的な映画」を志向しているというように、語り口はたしかに独特。黒白画面を選択しているのもやはりその一環か。
脚本で書かれていた伝染病が現実世界に侵入してくるというオチはある程度予想されたが、強烈な映像が心胆寒からしめる。
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(映画)『ボディ・アンド・ソウル』(1947年 ロバート・ロッセン) [映画]

才能ある若者が拳闘で王者となったのち、金で身を持ち崩していく様を描く。
拳闘を始めるまでが結構長いのは、母親が反対していたためで、主人公と母親の関係は物語の大きな要素。もうひとつは、途中から彼を食い物にしようとする興行師。金儲け第一主義の冷血漢ぶりが、主人公を金の亡者の世界へ引きずり込む。
彼を救う役割を果たすべき婚約者が、状況によって性格が変わるのが首尾一貫していなかったけれど、クライマックスの試合、劣勢から挽回する場面の熱の入り方や、試合が終わったのち、主人公が彼女を探す場面は『ロッキー』に影響を与えたのでは。
拳闘を始めてから王者になるまでは、練習場面と新聞見出しをカットバックするあっという間の処理で、それまでの遅いテンポが嘘のようにそこから新しい展開となる流れは見事。
試合場面は、外から両者を捉える位置にカメラを置き、それぞれの接写を入れていない分、ドキュメンタリー的で本物らしく見えた。
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(V)『地球の静止する日』(1951年 ロバート・ワイズ) [ヴィデオ]

宇宙から来た未確認飛行物体--円盤--がワシントンDCに着陸して、中から宇宙人が出てくるのは『未知との遭遇』みたい。この時代なので、宇宙人の造形--ロボットと人間そのまま--や特撮に多くを求めないが、円盤が開いて階段がでてくるところなど頑張っていた。
地球の人たちに訴えようとしたこと--宇宙を暴力で開発するなということ--が危険を冒してまですべきだろうかと思ったが、話相手は特定の国ではダメという点は、国際的な視点で感心した。
宇宙人と見えるや敵とみなしてしまうという人々の愚かしさを描いていて、とりわけ自分の名声があがると嘯くヒロインの婚約者には呆れ果てた。(もちろん婚約解消だ。)
最後、彼女は宇宙人と一緒に行ってしまう気配もあったが、そうならず、さらに『スターマン』のような涙のお別れにしていないところが、SFに徹した面白さ。
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(映画)『彼方のうた』(2023年 杉田協士) [映画]

主人公は若い女性で、少し年上の女性と男性にそれぞれ偶然を装って近づく。彼女が一方的に二人を以前から知っていたようだが、それぞれと親しくなることで悩みを解決してあげると同時に、彼女の中にあった蟠りもほどけてゆくという話。と理解したが、悩みとか蟠りに関して一切説明がない。
映画の中で出遭った人々は会話をするのだが、それらはほとんど挨拶に終始し、物語を説明したり推進したりする会話は一切登場しない。背景を彩る音楽もない。他の作品を見ていないが、見る者の思考に多くを委ねるというやり方が杉田監督の特質のようだ。
上田市でロケしている場面は、録音されたテープにあった川の音がどこかつきとめるために、以前テープの持ち主--母親か?--の縁ある場所を訪ねたということのようだが、古い映画館や焼きそばといった地方の観光振興に安易に乗っているだけのように見えてしまった。(食べ物--オムレツなど--が作品の重要が要素のひとつであることはわかったが。)
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(映画)『アンダーワールド・ストーリー』(1950年 シリル・エンドフィールド) [映画]

特ダネをものすることと金儲けに執心する新聞記者が主人公。彼の書いた記事によって情報が洩れ、証人が殺されるという事件が発生し、新聞社をクビになる。彼はそれにもめげず、売りに出ている地方新聞を買収し、特ダネ新聞にしようと画策したところで、ちょうどお膝元で殺人事件が発生。
新聞で、黒人の容疑者を無実だと訴えたり、彼女を助ける会を立ち上げるのもすべて彼の欲望に沿うもので、正義感からではないところがミソ。故に、命が危うくなっても刑事は彼のことを信用していないので助けに来ない。
結局最後まで彼は改心しない。善人である地方新聞社の人たちとの関係が今後どうなるか心配ではある。
主人公が成長しない分、大新聞の社主が放蕩息子を撃つのは社是に従った彼の改心。

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(V)『星のない男』(1955年 キング・ヴィダー) [ヴィデオ]

題名は、指導者を持たない自らの気の向くまま行動する男の意味と解釈した。主人公は、カンザスからワイオミングに貨車に無賃乗車してやってきた男。優秀な牧童だったようだが、鉄線を張って領地を囲うという仕儀が放牧に合わないと、新天地に移動してきたようだ。やって来た先の農場でも牧童としての能力を発揮し、やはり潮時と見るやさらに北へ去っていくという話。
西部劇になるのだろうが、銃撃戦があるわけではなく--主人公が若者に拳銃さばきを教える場面はある--、見どころは牛の大群をうまく誘導するところで、話も単純。しかしながら、笑いを取り入れた我が道を行く主人公を演じるカーク・ダグラス--バンジョーの名手でもある--がぴったりはまっていて、彼が指導する若者の成長物語として楽しく見られる。
女主人にも未練を残さずさわやかに去っていく彼はまさに風来坊。
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(V)『西部の人』(1958年 アンソニー・マン) [ヴィデオ]

馬でやって来て、一週間程度の約束で馬を預け汽車に乗る主人公が、何者なのかよくわからない。強盗に襲われた汽車でも活躍場面はなく、強いかどうかもわからない。
取り残されてしまった彼と、詐欺師のような男と、仕事を辞めてどこかへ流れていこうとする女の三人が、荒野の中歩き始める。主人公が連れて行った家には、偶然強盗団が居た。実は偶然ではなく、主人公は昔強盗団の一員だったので、そこに休める家があることを知っていたのだった。
この作品、主人公が何を考えているのかわからず、どうやって逃げ出すかといったサスペンスが生じない。彼がずっと流れに任せて行動しているうち、結果的に強盗団を全滅させることになったという印象。(詐欺師が身代わりに撃たれてしまう挿話も何の感興も呼ばない。)
彼の成長物語ではないし、一緒にいた女が初めて男に惚れたと告白しているのに、彼にはそれに応える気持ちがなく、恋愛映画にもならない。
銀行があるはずだった町が幽霊街になっていたように、もはや西部に楽しいことは待っていないという趣旨か。
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(映画)『あゝ野麦峠』(1979年 山本薩夫) [映画]

「野麦峠」の話は「女工哀史」と結びついて、過酷な労働に従事させられた女性たちの悲劇と理解しており、基本的にはそのとおりだが、そうならざるを得なかった社会背景があったことがわかった。14歳の娘たちは、家にお金を入れるため、家の食い扶持を減らすため、望んで参加していて、「百円工女」になるという目標や、仕事の合間の楽しいひと時などもあったことを活力あふれる映像で描いている。
少女たち個々に起こる悲劇のあとに、それをすぐ忘れるのが日常とでもいうように明るい場面が続くのは、少女たち全体は世界に誇る日本の製紙産業の立役者という描き方。また、経営者側を悪と描いていないため、女性に非道い仕打ちをする男たちに懲罰が下されない。
原作は小説ではなく、取材を基にした事実とのことで、最後に主人公が野麦峠で亡くなるのも本当の話とのこと。彼女の死の知らせを聞いて、女工たちが仕事を放棄する場面はクライマックスのための作劇で、中途半端に思えるところもあったけれど、あの程度がおさまりのよいところ。
冒頭、雪を踏みしめながら山道を歩く少女たちの列を捉えたカメラがズームアウトすると手前の道を歩く少女たちが写り、さらにそのカメラの前を横切る列が現れる画には驚嘆した。
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(V)『胸に輝く星』(1957年 アンソニー・マン) [ヴィデオ]

題名は胸につける保安官の印のこと。かつては保安官をやっていた賞金稼ぎの流れ者が、新米保安官を一人前にする話。
主人公は折に触れて新米保安官を助けるが、けっして保安官印をつけようとしない。職務に忠実だったばかりに妻子を不幸な目に遭わせた過去に囚われているのだ。しかし、最後にそれを曲げて印をつけて出てくるところが肝。
これによって、町の癌は除去でき、新米保安官の意思は守られ、そして自らも新しい妻子を得て再出発できるという見事な成長物語。
主人公の行動が落ち着くやいなや新たな問題が生じるという語り口がうまい。
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(V)『シマロン』(1960年 アンソニー・マン) [ヴィデオ]

19世紀末の米国オクラホマ開拓を背景とした話。主人公は実在の人物かしらと思ったら、小説の映画化だった。
主人公が新妻を連れて、オクラホマにやって来るところから始まる。早い者勝ちで土地が自分のものにできるという競争に参加するのだ。よーいドンで馬車を走らせる場面が凄い。主人公は気が変わって、途中で馬車に轢かれて死んでしまった人の遺志を継いで新聞社を始めることになるのだが、彼は使命感のようなものがあって、仕事をほおって新しい開拓地へ出かけて行ったり、戦争に参加したり、妻子はそっちのけ。家庭が一番という米国人像は最近作られたものなのか、それとも主人公だけ特別なのか。
オクラホマなので、石油を掘り当てる人が出てきて、主人公は先住民にも利権を与えるべく奔走するという場面もあるけれど、先住民差別に対する糾弾というところまで深刻にはならない。
ひとりの英雄物語を見たというより、彼はこの時代の米国の精神を具現化するような存在だったという印象。
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