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(映画)『かあさん長生きしてね』(1962年 川頭義郎) [映画]

東京--神田淡路町あたりのよう--のクリーニング店に住込みで働く青年は、青森の十三出身で母は、親戚の家で家政婦として働いている。彼の中華料理屋で働く娘との恋愛話を織り交ぜながら、母親との関係を描く。
雇い主と雇われ人の格差--いくら働いても金が貯まらない--の話が、当時の状況を反映していて、貧しかった時代を認識させる。また、主人公と娘は相思相愛をなのだが、彼女の兄はもっと固い職業の男に嫁がせたいと思っている。(しかし、主人公の母から直接お願いされては、仕方がないだろう。。)
せっかく上京して働き始めた母親が、肺病で帰ってしまうという暗い流れが、最後は呼び戻して東京で治療を受けるという希望ある結末となったのが、とてもよかった。(「保険」が強調されていたのは、これも時代を反映していたのか。)
途中、お盆で帰省する場面で、十三の祭りで「十三の砂山」が歌われる場面は、個人的に大いに注目した。
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(B)『日没』(桐野夏生著 岩波現代文庫) [本]

創作物の不道徳に対する、昨今の世の中の不寛容な風潮に警鐘を鳴らすのに、小説という手法が有効であることを実証している。
主人公の一人称で書かれているため、彼女が見聞きした話が最後まで真実かどうかわからず、療養所で関わった人たちの本性も不明のまま。「エンタメ」小説と開き直って、主人公が自由を勝ち取る話にしてもよかったと思うのだが、
結末も曖昧なまま--彼女が死んでしまうのか、生き延びるのか--にしたのは、著者が小説中で主人公に語らせた「良い小説」の定義、すなわち「自分に正直に」「自分が書きたいことしか考えていない」ということなのだろう。
ずっと療養所に閉じ込められている主人公の閉塞感を、読んでいる間ずっと感じて苦しくなった。
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(V)『女猫』(1983年 山城新伍) [ヴィデオ]

これは面白くない。山城監督の演出というより、内藤誠と桂千穂の脚本のせいだろう。その後たくさん作られる、女性主人公が悪者を殲滅するという話の走りかとも思うが、意味不明なところがいろいろある。
まず財界の大物が手下を使って奪おうとしている頭蓋骨だが、復元した顔を破壊しなくても、歯型等で身元はバレてしまうのでは。また、主人公の恋人である女医が突如悪人の手先と変節したのもよくわからず、主人公を撃ったのはいいけれど、死んだところをなぜ見届けない。最後の撃ち合いで、主人公の銃の扱いが玄人はだしなのはなぜというのは、考えてはいけないのかもしれないが。
バアで働いているゲイの人たちをたくさん出演させ、せんだみつおを登場させたのは、山城監督の発案か。
舞台が横浜であることがわかる画を始めに出してほしかった。最後の場面、撃たれた男を抱きかかえる主人公を俯瞰で捉えたカメラがズームアウトして、海の方にパンするという画面は素晴らしかった。
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(V)『イヴちゃんの花びら』(1983年 中原俊) [ヴィデオ]

ひとり気ままに放浪していて、先々で知り合った人と親しく関わりを持つ主人公が、何者なのか最後までわからない。
最初に出遭った若者たちは、サーフボードに麻薬を隠して、儲けようとしているようだ。次に立寄った海沿いの屋敷の主人は、家政婦なのか実子なのかわからない娘と関係を持っている。犯罪や醜聞は彼女にとってどうでもいいこと。
ひとりだけ、休暇をとって海山を歩いている男が、彼女の世界に接近するのだが、彼も休暇が終わればやはり自分の世界に戻ってしまう。彼女はつまらないことに拘る俗世間に人々から超越し、嗤い飛ばす存在なのだ。
イヴの記念すべき映画デビュウ作。なかなか魅力的。
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(V)『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年 山田洋次) [ヴィデオ]

前半は、柴又を舞台とした、若い二人の恋愛話になっている。男のほうはとらやの二階に下宿しており、女は叔父がやっている食堂で働いている。純情な二人という設定なのだろうが、わざとらしい感じがして、男の配役をもっと素朴な人にした方がよかったのではないか。(二人の初めての逢引場所が不忍池というのはよかった。)
失恋したと思い込み田舎--長崎の平戸--へ帰ってしまった男を追って寅さんも平戸へ。そこで彼の姉に会って一目惚れするという流れ。
せっかくの藤村志保という配役も、寅さんの気持ちを慮ることなく、ただニコニコしているだけでは魅力半減。とらやに集うお馴染みの人たちの安定感ばかり目に付いた。
兄妹の線路沿いの別れの場面は、やはり見どころ。
前々作で登場した旅回り一座と寅さんが再会する場面が最後におまけのようにあった。
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(V)『あゝ予科練』(1968年 村山新治) [ヴィデオ]

海軍の飛行機隊を主役として、最後は戦艦大和の出撃で締める流れは、先日見た『太平洋の翼』と似ていると思ったら、脚本が同じ須崎勝弥だった。こちらは同じ飛行隊でも、土浦の航空隊で学んだ予科練習生たちが、成長して特攻隊となって出撃する様を描く。
彼らの上官が、人間的にも実利的な考え方も立派で、部下の危機に際しては、自ら操縦桿を握って助けに行く行動も『太平洋の翼』と同じ。けれども予科練時代に上官が指導している場面が、なぜか全然ない。
「7つボタン」にあこがれて入隊した若者たちが、厳しい訓練を経て飛行機乗りになり、出撃していくまでの様子が淡々と描かれていて、彼らが自らの使命を脇目もふらず全うしていく様は胸を打つ。
感傷的な部分は、家族や女性に仮託して、鹿児島の鹿屋基地からの出撃に際しては、女性二人がわざわざやってきて見送る形式にしていた。
西郷輝彦が主題歌を歌う歌謡映画的側面もあるが、この時代に出した「若鷲の歌」のレコードは売れたのだろうか。
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(V)『にっぽん泥棒物語』(1965年 山本薩夫) [ヴィデオ]

敗戦後まもない時代の土蔵破り泥棒が主人公。
大勢の仲間と組んで、十分な下調べをしたのち、夜陰に乗じて土蔵の壁に穴を開けて、着物などの品を持ち出して売りさばく。盗みをする方法や、盗む品を売りさばくところまで、まさに混乱している世の中ならではの犯罪。とはいえ、ちょっとしたことから足がついて、刑務所に四度も収監される。
それらを活写していた映画は、途中から調子が変わり、妻をもらって主人公が更生する様と、彼が盗みを失敗して逃げる途中で目撃した蒸気機関車を転覆させた「杉山事件」の犯人に関する証言をどうするかという話に変わっていく。(悪人が善人になるのは、「飢餓海峡」いや「レ・ミゼラブル」式ではあるが、この主人公は結婚や歯科医開業も受け身で、母親の死によって更生するという優しい性格に好感が持てる。)
皆の前で目撃したことを証言すれば、大切に築き上げた家庭が崩壊してしまうけれど、冤罪で死刑になる人たちを助けられるという板挟み状態。結局、彼は冤罪を雪ぐため法廷に立つのだが、正直かつ無邪気な回答をして、検察の意地の悪さを笑いのめして勝つという構図が見事というほかない。
一旦は彼に愛想をつかした妻も、傍聴席で見ているうち、嫌悪の表情が次第に他の人たちと一緒に笑うようになって、最後は彼を祝福するとなるところは、余分な説明を排した何よりの結末。
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(映画)『アリラン ラプソディ ~海を越えたハルモニたち~』(2023年 金聖雄) [映画]

川崎市の桜本地区に住む所謂在日一世の女性たちにカメラを向けたドキュメンタリー。
金監督作は、冤罪に関するものしか見たことがなかったが、金監督自身在日二世で、すでに亡くなってしまった母親と同じような体験をした人たちの話を聴きたいというのが、製作の動機との由。
対象となる人は数人いるが、彼女たちの話を聴くだけで二時間もつのかと見ていたら、カメラを回し始めた1999年あたりからの映像を盛り込みながら、安保法案反対のデモ行進など、盛りだくさんで飽きさせない。
皆で沖縄旅行をする映像もあって、これは余計だろうと見ていたら、何と普通の観光ではなく、現地の戦争の爪痕を見に行くような旅で、まるで『沖縄狂想曲』の続編かと見まがうよう。(米軍が撮った同じ映像も使っていたし、チビチリガマの出来事を説明する知花昌一さんまで登場した!)
映画が終わってみれば、今あるハルモニたちの思いが、個人的な苦難を経た上で、「戦争は二度と起こしてはならない」というところに収斂したことがわかり、そんな彼女たちの思いが、沖縄で戦争で苦しめられた人たちと呼応したということで、この場面は必要だったとわかった。
金監督は、彼女たちの今の様子を刻印することが大切というかのように、個々人の家族や、写していた人たちが亡くなるといった事件をあえて排しているように見えた。
それから、彼女たちの生活を支援する三浦知人という人に個人的に注目した。
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(映画)『沖縄狂想曲』(2024年 太田隆文) [映画]

米軍基地問題についてのドキュメンタリー。ご丁寧にも、琉球王国から始まり太平洋戦争中の出来事まで解説してくれ、二時間で学べる沖縄の米軍基地問題といった態。
そういう意味で、前半部分にあまり見るべきものはなかった。内地の人の声--基地問題に無関心--を紹介する意味のない場面もある。
ところが、真ん中で、なぜかもう一度題名が出てから、日米地位協定に関する話題になったら、がぜん面白くなった。鳩山元首相のインタヴュウや、国会での山本太郎の質問場面が見どころ。北方領土返還交渉が途絶したのは、日米地位協定のせいだったという明解な解説もあった。
これらの背景を解説してくれる前泊博盛、瑞慶覧長敏、屋良朝博、そして知花昌一といった人選が、作品の意図を完璧に保証していて揺るぎないけれど、個人的には、もっと住民の声や、基地に賛成している人の声を入れてほしかった。意味もなく挿入されるオスプレイの映像は減らして。
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(V)『夢のハワイで盆踊り』(1964年 鷹森立一) [ヴィデオ]

高校の卒業式のあと、男子学生がそれぞれの夢を語る中で、主人公の「ハワイに行く」で話が始まる。何のこっちゃと思ったら、彼の両親は日系二世で、戦争前にハワイから駆け落ちしてきて、父親は兵役で死んでしまったという背景があった。
そこへ彼の母親にとっては義父となる一世の老人がハワイから息子と嫁を探しにやって来る。意外と早く再会できるが、もしかしてこのまま東京で話が展開するのかと思ったら、後半はハワイが舞台。
嫁を許さない祖父から許しをもらおうと主人公がハワイへ行く。(高校時代からの友だち二人も、それぞれの事情で都合よくハワイへ行けることになる。)祖父から「あっと言わせれば許す」と言ってもらった主人公が考えたのは、ワイキキの浜辺での盆踊り大会。これは、現地の日系人に協力してもらってロケをしたのだろうか。(それとも盆踊りの場面は日本で撮った?)
現地の人々はこれを見てどう思ったのかわからなかったが、昔、盆踊りの太鼓叩きだった祖父は満足してハッピイエンドとなり、ハワイアンと盆踊りを融合させた主題が、見事に生かされた。
アイドル舟木一夫の恋愛話は周到に避けられていた。
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