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(V)『淺草の鬼』(1955年 松林宗惠) [ヴィデオ]

「浅草の鬼」と呼ばれている主人公が、なかなか姿を現さないところに期待を抱かせたものの、登場すると、劇場の照明係をしているチンピラのような男で、魅力に欠ける。
主人公が世話になった劇場主を殺した犯人を突き止めるという話なのだが、意外性はないし、主人公が惚れている女は、写真家と恋愛関係にあって見向きもされないというちぐはぐさ。
最後は浅草から、千住あたりのガスタンクがある場所にしたのは、米国犯罪映画風か。浅草でのロケは浅草寺境内を少し見せるだけだったのが残念。
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(V)『おとこ大学 新婚教室』(1955年 野村芳太郎) [ヴィデオ]

冒頭、ビルの屋上でフォークダンス風踊りをしている男女が写るミュージカル的な始まり。(途中で主人公夫婦が自宅でレコードに合わせて踊る場面もあるので、ミュージカルを意識していのだろう。)
原作は、若い男に結婚の心得を指南する本のようで、この映画では、両親を早く失くし祖母に育てられた主人公が、結婚して祖母と新妻の間で苦労する。
とはいえ、おとなしい性格で両者に挟まれておろおろするだけであまり役にたたない主人公は後景にしりぞき、新しい時代の女性である妻が、祖母に苦労させられる様子は見ていて少し可哀想。性格のよい主人公に対して、友だちや会社の先輩がいい加減な性格で笑わせる。
妻が耐え切れず実家へ帰ってしまって、実家の父親も嫌ならずっといてもいいという状況は、この時代によく見られた情景なのではないか。解決策として「話し合い」を提示するところは、少々教条的ではあるが、二人が少し分かり合えたのはよかった。
電気洗濯機が登場したが、ふたもない円柱の機械は初めて見るもので、相当初期のものと見た。
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(映画)『フジヤマコットントン』(2023年 青柳拓) [映画]

青柳監督の新作は、住んでいる場所の近くにある障害福祉事業所の利用者を写したドキュメンタリー。説明をまったく付さない作り方は、ワイズマン方式だが、ワイズマン監督ならば、事業所の経営にまでカメラを向けるところだが、青柳監督は、利用者にのみ集中する。
真っ白になっている富士山が、すっかり山肌を表したのち、また少し雪の跡が見える様子は、一年近くかけてじっくり撮影されたことがわかり、る人と被写体の間に生まれた親しい関係は、カメラに向かって自然に話をする場面に結実している。
青柳監督の個々の人たちを見つめる優しさを理解したこからこそ、利用者も家族も撮影を許可したのではないか。まさに青柳監督にしか作れない作品。
B型支援である、裏の畑で綿花を育て、それを糸にして織物を作成して販売する事業は、ここならではの特徴で、だからこそ、題名にもなっている。朝のラジオ体操を利用者だけに任せているところも、ここならではと思われ、その場面が微笑ましかった。
織り担当の二人の女性が、互いの服を織り合う場面が見所のひとつだが、完成した服をさりげなく、最後のそれぞれの写真で見せる演出が心憎い。利用者全員が、富士山が顔をのぞかせる方向へ歩いていく最後の場面も素晴らしい。
「仕事とは何か」との利用者の問いに対しては、「みらいファームで自分が熱中できるもの」と回答したい。
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(V)『昼も夜も』(2014年 塩田明彦) [ヴィデオ]

中古車販売店--成田空港の近くにありそうな店--の若い社長と、そこに偶然現れた女の話。女は宿無し風来坊のようで、突然姿を消し、気が向いたら現れる。
二人は互いに意識しているのだけれど、男には彼女が居る--交通事故で意識不明のまま入院中--ので、男が踏み込むことはない。また女もそれを知って、自分から迫るようなことはしない。
二人の関係は、何も起きないまま終わる。車に乗っている二人に突然嵐のような雨が降ったり、不発弾処理の爆発音が聞こえたり、外部から行動のきっかけになりそうな働きかけがあるのだが、やはり何も起きない。しかし、二人の気持ちのざわめきは画面上から伝わって来て、見る者に爽やかな印象を残す。
実際に背中の刺青を見せることもなく、女を最後まで正体不明のままにしたことで、想像をかきたてられた。
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(映画)『私は忘れない』(1960年 堀内眞直) [映画]

有吉佐和子が昭和34年に発表した小説--三島村のホームページは年号が間違っている--の映画化だそう。
著者の意図は、鹿児島県の黒島を世間に知らしめることにあったようで、映画も現地でロケ--船が接岸する港の様子が興味深かった--をし、島の様子や人々の暮らしを紹介することを第一義としている。解説の音声は、小説の地の文を読んだのだろうか、島に関するさまざまな情報提供をしてくれ、ドキュメンタリーの趣きがあった。
とは言え、創作話にした意味は、たとえば島にある二つの村の仲が悪いため、それぞれの村出身の男女に悲劇がもたらされるとか、嵐によって命の危険が生じる状況、病気になったら死を覚悟しなければならないなど、ドキュメンタリーよりより切実に見るものの心に響く。
島の状況を描くことに力を注いだため、ドラマとしての主人公の恋愛話は、中途半端で、心を癒す旅--たったの十日間とは思えなかった--から東京へ帰った女性も、島にTVを贈って終わりとは、「遠地」に赴任させられた先生がちょっと可哀想だった。「忘れない」のは、彼のことではなく、島とそこに暮らす人々が居ること。
鬼の面をかぶって、櫂のようなものを持って踊る、現地の伝統芸能も写していた。
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(V)『警視庁物語 行方不明』(1964年 小西通雄) [ヴィデオ]

皮製造会社の社長が警視庁の課長と知り合いだからといって、行方不明の社員二人を探す捜査に、捜査一課が乗り出すのはあり得ないだろう。。
捜査によって、二人のうち一方が他方を殺して逃げたという線が濃厚となってくるが、この話の肝は死体がなかなか発見されないところ。(皮を作るときに使う硫酸タンクの中に投げ込まれていた。)
捜査の過程から、犯人の男は自分の経歴詐称がバレて同僚を殺してしまった非道い奴に見えるが、蓋を開けてみれば、不可抗力の殺人だったことや、身を寄せていた会社の女性とは深い関係ではなかったなど、自分勝手というより、実は弱い男だったことがわかってくる。
最後は女と待ち合わせた浅草での捕り物となるが、犯人はデパートの屋上から飛び降りてしまうという、警視庁物語には珍しい展開。彼の反省の言葉を聞く機会もなく、7人の刑事たちのやるせない思いが最後のロング画面に滲み出ていた。
8年24作にわたった「警視庁物語」もこの作品で終了。刑事の顔ぶれに若干出入りはあったものの、脚本をすべて長谷川公之が担当していることもあってか、特定の刑事を主人公とすることなく、彼ら全員が丹念に捜査を進めていく様子を活写するという基本路線が一貫しているのが、続き物としてよくできていた。
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(V)『警視庁物語 108号車』(1959年 村山新治、若林榮二郎) [ヴィデオ]

盗んだトランジスタラジオをトラックで運んでいる窃盗犯が、たまたまパトカー--108号車--に誰何され、警官を撃ち殺してしまうところから、警視庁捜査一課の出番となる。
トラックの番号を手掛かりに犯人に迫っていくという単純な話なので、捜査を進める刑事たちの様子が、いつに増して丁寧に描かれている。
トラックを買った男の顔を運転免許事務所に保存されている写真から探そうとしたり、交通事故の記録を一枚ずつ確認して、該当する車がないか調べたり。また、その間刑事たちが食べるそばやかつ丼などの食事も描かれたり、主任が殉職刑事の葬儀に行くために皆が香典を拠出するところまで、芸が細かい。
最後の捕り物は、有楽町にあるビルの地下三階まである駐車場。地下一階から三階まで、刑事がひとりずつ張り込んで、犯人が来るのをじっと待つ緊張感。かなりじらされたあと犯人が現れると、電撃のように逮捕するという緩急が見事だった。
殉職警官が合祀されているという彌生廟なる場所を初めて知ったが、今でも弥生慰霊堂として武道館の近くにあるそうなので、機会があったら訪れてみたい。
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(映画)『春らんまん』(1968年 千葉泰樹) [映画]

吉村公三郎監督を『婚期』を脚色したもの。大映の女優陣に負けず劣らず、こちらの東宝女優陣も豪華。
長男と結婚して家に入って来る女性を演じる女優の違い--前者は京マチ子で、後者は新珠三千代--で、こちらの嫂は健気に頑張る控え目さによって、長男を中心に物語が運ばれる。
この長男が、愛人を囲ったりしているのだが、こそこそしておらず憎めない。(両親不在の家庭にあって、父親の役割を果たしていることもある。)
次女、三女にいじめられて可哀想な嫂が起死回生の反撃に出るのが、大勢の前で、ケーキを顔にぶつけるという派手な見せ場。
最後は、次女が思いがけず結婚するの流れとなって、14回見合いをした彼女が花嫁衣裳で「おまたせしました」と言って幕となるハッピイエンド。まさに春爛漫。
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(B)『ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかの殺人事件』(橋本治著 集英社刊) [本]

これは1983年に刊行されたものの再発。
著者に似た経歴の挿絵画家が探偵となって連続殺人事件を解決する話で、当時流行っていた横溝正史の『犬神家の一族』や『獄門島』を積極的に取り入れていので、軽い調子の語り口で、最後は本格推理の謎解きに進むのかと読んでいたら、結構深刻な内容--人が死ぬからという意味ではない--になってきて、殺人事件の起こった鬼頭家の人々の背景だけでなく、語り手である主人公の「暗い」過去まで描かれる。(人の性格を暗いと称するのは、80年代になって始まったとあって、そういわれるとそうかもしれない。)
主人公と主人公に探偵を依頼した彼女の二人が、鬼頭家を訪れなかったら、殺人事件は起こらなかったかもしれず、題名にある「ぼくらはなにをしたらよいか」よりも「ぼくらはなにをしたか」殺人事件といった趣き。
「なにをしたらよいか」というのは、作中に登場したあらゆる可能性を検討することで、その意味では、大学生たちが「なにをしたらよいか」を検討する『人工島戦記』にも「あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科」と副題を付けた理由については、巻末の「解説」で仲俣暁生が見事に分析してみせている。
著者が『虚無への供物』も参照していたところは、個人的に大いに注目。
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(V)『女子大生と美熟女 淫らなままに』(2017年 竹洞哲也) [ヴィデオ]

『まぶしい情愛 抜かないで…』『未来の足音』
『いつかのナツ』と二本撮りで、ナツとノアという友だちは引き続き登場。大学の友だちは一切登場せず、新たにナツの祖父に恋人ができる。
前作とは趣向を変えて、三組の男女それぞれの脳内音声で話をつなぐ。(脳内音声で見せる手法も当方ボーカルの技のひとつ。)さらに、それぞれの男女の様子を交互に見せるだけで、たとえ祖父と孫であっても出遭うことすらないという実験作。
前作の最後に鳴っていた救急車の音は、せっかく新しくできたナツの彼氏が交通事故に遭って死んでしまう事故だったことが、今作の冒頭で判明し、三組の男女には--ナツがつきあう同級生を除いて--、皆相手を喪失したところから、どう回復するかという主題が備わっている。
各自悶々としている心の裡を脳内音声を使って表しているのだが、三組とも暗いのは気が滅入る。最後に、それぞれに明るさがほのかに感じられるところが「未来の足音」なのだろうが。
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