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(映画)『霧と影』(1961年 石井輝男) [映画]

軽快な音楽--木下忠司--とともに汽車に乗って登場した後ろ姿の男は、丹波哲郎だった!殺された男の友だちということだが、奥さんを見る眼つきが怪しかったので、真犯人ではと思ったら、どうやら恋する目つきだった!(この恋は少しも発展しない。)
彼を中心とする新聞社の面々が、特ダネを物しようと異様に張り切るさまが面白い。的確に調査を進めて、犯人にたどり着くが、この人が犯人だったという意外性がなく、暴かれた事実は面白くなかった。
みうらじゅんが喜びそうな能登の崖と、道もないような場所にある閉鎖的な部落という設定が話の核となっている。その土地の火祭りの様子も見どころ。男が逃げる女を追っかける場面の撮り方--後ろから追いかけたり、前から見せたり--は、石井監督、新東宝のサスペンス映画で鍛えた腕のみせどころ。
図らずもなくなったばかりの梅宮を追悼する鑑賞となった。
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(B)『戦う女たち 日本映画の女性アクション』(四方田犬彦、鷲谷花編 作品社刊) [本]

男女の性別について考えさせられる優れた論考。
男役の立ち回りで人気を得た戦前の女優から始まり、男の恰好をして活躍する美空ひばりへと、女性がアクション映画の主人公として活躍するためには、男装あるいは女性性の放棄が見られた時代から、70年代女性アクション映画の、性的な暴力の犠牲という儀式を経て、悪者に立ち向かう力を得るという、女性のアクション英雄には、男性のそれにはない手続きが必要であることが、それぞれの主題の論文から浮き上がってくる。
そして鷲谷花によって、現在の女性アクション映画もその桎梏から逃れていないことが明かにされる。男と女が対等となったとはとても言えないということだ。
真魚八重子の論文を読んで、女性がポルノ映画を見る際の複雑な感情--①観客としての興味、②見世物ととしての居心地の悪さ、③映画の娯楽性への楽しみ--がどういうものか、初めてわかった。
四方田論文は『ブルース・リー』からの流れと、志穂美悦子への個人的な愛にひっぱられて、女性執筆者の中で、ちょっと浮いていた。
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