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(映画)『初春狸御殿』(1959年 木村惠吾) [映画]

木村惠吾監督は、よほど狸御殿が好きらしい。物語は『歌ふ狸御殿』を踏襲しているが、設定が少し異なり、お黒の父親は死んでおらず、お黒を困らせる存在。
お黒の競争相手がいないと面白くないのではと見ていたら、彼女が御殿のお姫さまと瓜二つという設定。(化けて二役ではない。)お姫さまが家出してしまったため、御殿で狸吉郎の相手をすることになる。
美術にも十分お金をかけられる時代になったが、童話の世界という位置づけか、わざと作り物のようなセットにしていた。正月映画ということもあり、主人公が艶やな着物姿を見せるところが売りもの。もちろんミュージカル映画として、音楽--吉田正--も一新され、歌い踊る場面はたくさんあるが、舞台の上でつぎつぎと歌い手が変わるショウを撮っている趣き。水谷八重子や松尾和子、さらにはマヒナスターズまで登場し、各自の歌を歌う。物語と音楽の融合という点では、前作の方が上。
前作にも登場した主人公と狸吉郎の羽根つきは、カラーになって華やかになった。二人が歌い踊る場面は少なく、その変わり日本舞踊をじっくり見せてくれた。
湾曲する階段も、わざわざ鍵盤のように沈みこむ仕様となっていたが、なぜか出番はあまりなかった。
狸吉郎をお姫さまに譲ったお黒がどうするかといえば、薬売りとくっつく。この薬売りは前作のカッパに相当するが、こちらはタヌキのようだった。その代わりに、緑のカツラをかぶったほとんど裸の女性が二人、カッパとして薬売りを囃す。ひとりは毛利郁子で、大胆な格好と美しい肢体に眼が惹きつけられた。。
前作にもあったが「しかじかこういう訳で」というセリフで説明を省略してしまうのが面白かった。
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(V)『歌ふ狸御殿』(1942年 木村惠吾) [ヴィデオ]

主人公のお黒--もちろんタヌキ--の父はカチカチ山のタヌキで、背中の火傷が元で死んでしまった。一方、分福茶釜のタヌキも登場するなど、タヌキが出てくる民話を導入しているも、物語はシンデレラの翻案。
叔母にこき使われているお黒が、白モクレンの精の術で美しい姫になり、狸御殿の祭りに参加する。しかし暁の鐘が鳴ったら帰らなければならない。
セリフを歌詞に盛り込んで、出演者が歌うかなり本格的なミュージカル仕様。お祭り場面では、民謡歌手などさまざまな歌い手が登場した。
御殿の内装がちょっとしょぼかったけれど、湾曲している階段をピアノの鍵盤に見立てて、踏むと音が鳴る--主人公によって「さくらさくさ」が演奏された--という工夫が楽しかった。
シンデレラなので、主人公は一緒に住む娘にいじわるされるのだが、最後は正直な彼女がめでたく狸吉郎の嫁となる。(いじわるな娘はカッパと結ばれるのだろう。。)狸吉郎を宮城千賀子が演じているのは、宝塚の舞台を映画でも見せようという意図か。
最後はみんなで踊って盛り上がるのかと思ったら、叔母にも情けをかけて、、と静かな結末だった。
この時代に日本でこんなミュージカル映画が作られていたとは驚き。
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(L)三上寛@MANDA-LA2(03/20/2020) [ライヴ]

デビュー50周年記念と古稀を祝うライヴ。この日はまさに三上寛70歳の誕生日。いつもより早めに会場についたが、結構人が多くて驚く。ちょうど70人入ったとか。
この日は、あかぎしほという関西のピアニストが「助っ人」として来ていて、リクエスト曲対応で来ているのかと思っていたら、最初から最後まで二人の演奏だった。

会場が暗くなり「誰を怨めばいいのでございましょうか」のレコードがかかって、二人が登場。レコードの音にかぶさるようにその曲を演奏し始める。続いて「カラス」と最初から特別メニュウだ。と思ったら、前半は普段のライヴで歌っている歌という前口上があって、いつもの曲たちが演奏される。
しかし、演奏はいつもと同じではない。あかぎが弾くピアノは、三上のギターを煽るように叩かれ、三上もトシのドラムスに対抗するときのようにギターをかき鳴らす。あかぎしほはジャズピアニストなのだとわかったが、彼女の弾く自在な音は、三上の歌と同じくらいこの日の聴きものだった。
何度も聴いている「ダニィ坊や」の元が、上村一夫にあったというのは初めて知った。また「楢山節考」に続けて「十三の砂山」という青森民謡が歌われた。
結構MCもあり、前半はちょうど一時間。

休憩を挟んだ後半は、今回リスエストを募った中から歌うということで、珍しく歌詞カードが置かれていた。歌われた曲は、やはりというかすべて70年代の曲で、曲単位で思い浮かべるとどうしてもそうなってしまう。
三上は、最初の「赤い馬」などは歌詞カードを見ながらたどたどしく歌っていたはいたものの、多くの曲は普段歌わないのに、身体の中に入っているようだったのが驚き。
ボブ・ディランが昔の曲を編曲して歌うように、三上も今の演奏スタイル--Am Dm Em ときどきB7--で歌うので、すべて同じように聴こえ、懐かしいという感じがしない。昔の歌を聴いて、三上が今歌いたい歌を聴くのが一番だと確信した。(「このレコードを盗め」アルバムと同じ「なかなか~なんてひどい唄なんだ」が嬉しかったけれど。あと「ストリッパーマン」)

アンコールの「典子は今、愛のテーマ」だけは、ピアノ演奏をバックに、三上がハンドマイクで、オリジナルの美しいメロディ通りに歌い、感激。これぞ特別仕様!私がリクエストした曲は歌われなかったが、この曲を選ぼうかと悩んだので、リクエストに応えてもらったも同然。
高知からのアルバム発売も、一旦終わりにしたようだし、これからの新しい活動を期待したい。

<セットリスト>
1. 誰を怨めばいいのでございましょうか 2. カラス 3. 甘丹香草 4. 山を歩く船 5. 青氏 6. ダニィ坊や 7. やさぐろ節~十三の砂山 8. 楢山節考 9. 十九の春~夢は夜ひらく~戦士の休息~夢は夜ひらく~十九の春~教訓Ⅰ~十九の春// 
10. 赤い馬 11. おど 12. 青森県北津軽郡東京村 13. このレコードを私に下さい 14. なかなか~なんてひどい唄なんだ 15. ひびけ電気釜!! 16. パンティストッキングのような空 17. 東京だよおっ母さん 18. 故郷へ帰ったら 19. おととし泣いた夕暮れと 20. 泣けてくるよ 21. 小便だらけの湖 22. さようならと手を振って 23. ストリッパーマン 24. ピストル魔の少年 25. 負ける時もあるだろう /en. 典子は今、愛のテーマ
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(映画)『37 Seconds』(2019年 HIKARI) [映画]

主人公は脳性麻痺の女性。車いすで生活をしている。冒頭、お風呂に入って食事をする場面をみて、母親の大変さに眼を奪われてしまうが、騙されてはいけない。この場面は、母親が主人公を過保護に扱っていることを示すためのものだった。(母親が肉を切ってあげる場面も余計なお世話だったことがあとでわかる。)そう、この映画は、自分の力でなんでもやってみたいという主人公の成長物語なのだ。(それと障がい者の子を持つ親に我が身を振り返らせる映画。)
彼女はアイドル漫画の助手の仕事をしているのだが、実際に作品を描いているのは彼女で、漫画家にいいように搾取されている。自作を売り込むために、エロ漫画を描こうとする設定が秀逸。編集長に妄想だけで描いた漫画はダメと一蹴される。この直球でものを言う編集長が彼女に指針を与える重要な役割を果たすのだが、エロ漫画出版社の編集長が女性というのを含めて、女性監督であるHIKARIの色がでているように見た。
そこから彼女が性を経験しようと歌舞伎町へ行くことによって、新たな世界が開けてくる。この映画、キャメラは常に彼女の眼の高さにあって、決して彼女を見下ろしたりしない。見ている者も彼女と同じ目線で、彼女の冒険を見守ることになる。
さらに余計な説明しないところも、この映画の素晴らしいところではあるが、それにしても電車に乗るようにタイに行ってしまったのは驚いた。このタイの場面では、一緒に付いていった福祉タクシーの若い男が、一切余計なことを言わなかったのがよかった。彼との情交場面があるべきだったとは思ったが、それは欲張りすぎか。
物語は彼との恋愛話には流れず、母親との関係修復、いや新たな関係構築を見せて終わる。時折挿入された夜景場面は、主人公が街に暮らすひとりであって、特別なものではないことを教えてくれる。主役の佳山明に感服した。
PCで見ていたAVに出ていたのはよくわからなかったが川上奈々美だったようだ!
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(映画)『新婚日記 恥しい夢』『新婚日記 嬉しい朝』(1956年 田中重雄) [映画]

合わせて90分弱の連作。
結婚と同時に転勤で熊本から東京に出てきた夫婦。外国へ行った教授の家を借りられることになり、楽しい新婚生活が始まるはずだったが、、という話。熊本から出てきた女学生を預かることになったり、電話を近所の人たちに貸すことにしたため、昼間人の出入りが激しく、二人きりにある時間がない。
夫が世旧不満を募らせていく様は艶笑喜劇の気味あり。当時のサラリーマン夫婦の暮らしや周囲に暮らす人々--隣の家には十二人の子供--の生活がよく出ていた。
後半は、前半の最後に教授が戻ってくることになったのを機に、二人が踊りの師匠の家に引っ越したあとから始まる。家賃や家具、電化製品のために、夫婦が働く話が主で、夫は残業-電話工事の手伝いをする--、妻は炊事婦とそれぞれ相手に内緒の仕事をする。(そんな中でも、洗濯干し物の中で抱き合ったりして、人目を盗むのがうまくなった。)
新しい登場人物として、踊りの師匠の元旦那と、上京してきた夫の父親が登場し笑わせる。斯様な状況も当時はそのへんでよく見られた情景だったのだろう。
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(V)『青二才』(2012年 サトウトシキ) [ヴィデオ]

正業につけないさえない中年男。一緒に住んでいた女はネコのように家をでたまま帰ってこない。女は外で若い男と出遭って、、というありきたりな設定の話を、情感込めて見せることができるのは、サトウトシキ監督の力--男女がそれぞれ夕焼けを見つめる場面が印象的--と、役者の力。主役を演じる伊藤猛だからこそ、ギター演奏が下手でも、自転車からチラシをまき散らす大げさな演出も許せてしまう。
さらにこの作品、若い童貞男を見事に演じるのは櫻井拓也で、川瀬や吉岡は二人のために出演しているのではないかという気がしてしまった。。
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(V)『サニー/32』(2018年 白石和彌) [ヴィデオ]

舞台は新潟。(ロケは長岡で行われたようだ。)
若い女教師が何者かに拉致される。彼女は14年前、11歳の時に同級生を殺してネットに顔がさられ三本指と二本指のサニー印が有名になったサニーらしい。彼女に興味を持っている男女が集まって拉致を実行したようだ。
弱い立場であったはずの彼女が、映画のちょうど真ん中あたりで、彼らを支配するような立場に逆転する。高い緊張感が持続し、予想もしない方向に話が進んでいく形式は、園子温の映画を彷彿させた。ネットの世界で有名になった彼女が、ネットの世界で教祖のような役割を演じる。そして本物のサニーまで登場するが、この段階では彼女はもはや何者であるかは関係ない。この話がどこへ行きつくのかを見極めることにのみ眼が向く。
周りの人たちが次々と死んでしまうので、サニーも同じ運命かと見ていたら、無事決着した。考えてみれば、いじめられている生徒を救うのに、こんな大仰な仕掛けが必要だったのか。
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(V)『DISTANCE』(2000年 是枝裕和) [ヴィデオ]

何人かの登場人物の日常をまず見せる。関係なさそうな彼らが田舎の駅に集まって、車に乗って山の中へ入っていく。男三名、女一名からなる彼らは、実は配偶者や兄弟が宗教団体に入っていて、無差別殺人を起こしてしまったという共通点がある。事件のあと自殺だか殺されたかで、彼らは命日に供養のため、亡くなった山の湖を訪れたのだ。
帰ろうと思ったら車が盗まれていて、やはりバイクを盗まれてしまった教団の生き残りの男と、かつて教団の住居であった家で一晩過ごすことになる。と、ここまでは設定づくりが面白く、彼らの関係性がどう変化するか期待させたのだが。。
後半、朝までの間、各人が過去を思い出すという展開は、ある程度予測がつく流れで、全員でなくとも感情を大きく揺さぶられるというような場面がほしかった。ひとり逃げた男の彼ら家族に対する気持ち、もしくは彼を裏切り者として糾弾するような展開は考えられなかったか。
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(V)『ワンダフルライフ』(1999年 是枝裕和) [ヴィデオ]

よくこんな話を思いついたものだ。亡くなった人たちが天国へ行く前に一週間かけて、一番思い出に残っていることを選び映像化すると今後その思い出とずっと過ごせるようになる。
亡くなってその場所に着いて思い出を考える人たちと、聞き取りをして映像化を差配する人たちの様子を、誰かひとりを集中的に描いたりしないところや、キャメラに向かって話すように撮っているところなどドキュメンタリー風。しかし、それだけでは序破急のドラマにならないので、聞き取り者として働いている人たち--何らかの理由で自分たちは思い出の世界へ行かない--に変化が起こる方向に話が進む。
もう少し劇的な結末やひねりがほしかったところではあるが、死者の世界なので温度は低いまま終わるのがふさわしいか。
90年代は、現在活躍している俳優と昭和の俳優--由利徹、谷啓、内藤武敏、三木のり平など--が共存していたことが感慨深かった。
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(V)『獣の戯れ』(1964年 富本壮吉) [ヴィデオ]

「けもの」かと思っていたら「けだもの」と読む。けだものとなると登場人物の三角関係が理性を超えた異常なものに思え、見るものはそれを期待するのだろうが、観念的な話ではあっても、扇情的だったり変態的ではない。(蚊帳越しの抱擁は官能的だった。)
富本監督は、白黒画面とし、登場人物を写すキャメラを煩雑に切り返すことで、緊張感を高く保つ。奥さんを真ん中にして三つ並んだ墓が象徴するように、彼女の罠にはまった二人の男という話にまとめられていたが、しっくりこなかったのは、三島の原作は、若者が男になれるかという話だからではないか。奥さんは、母親のような位置づけで、夫を殺すのもそのための儀式という位置づけか。
いずれにせよ観念的で、映画にするには難易度が高かった。
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