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(V)『ミステリー・トレイン』(1989年 ジム・ジャームッシュ) [ヴィデオ]

メンフィスの町で起こったある一日の挿話を三つ見せるという仕様を、当時は斬新だと喜んだものであったが、その後斯様な語り口は珍しくなくなってしまった。メンフィスやエルヴィス・プレスリーに対する愛に満たされていると思っていた内容も、寂れた町の風景--廃墟となった映画館や銀行がそのままになっている--や、あまり見る価値がなさそうなサン・スタジオなど、ジャームッシュ監督は、過去のものとして現実を醒めた眼で見ているように感じた。
エルヴィスの幽霊は、彼にあこがれてはるばる日本から来た旅行者や町の人の前には現れず、メンフィスにまったく興味がない欧州の人の前だけに登場したり、偶発的に犯罪をおかしてしまい逃げ惑う三人組も、町のただずまいに似て、ただただカッコ悪い。
少年のおもかげを残す永瀬は、そういう役なのかもしれないが、随分硬い。一方、少女のはずの工藤は、大人びていて輝いていた。
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(配信)種ともこ 生配信LIVE@自宅(04/29/2020) [配信ライヴ]

種ともこ、自宅からの配信ライヴ。
2年ほど前に引っ越した緑に囲まれた家--年季が入ってそう--で、ピアノを弾いて歌う姿を4台のカメラを駆使し、マイクは録音スタジオにあるような立派なものが設置されていた。
午後2時からのライブということで、庭から差し込む強い光を感じながら聴く歌は、ぜいたくな午後のひとときとなり、種の歌は、夜より昼間の方が似合うのではと感じてしまった。
最後の三曲の出来が素晴らしく--「It Must Be Love」はこんなに名曲だったか--、他の人の曲より彼女自身の曲をもっと聴きたかった。カメラ目線がきまっていたのは、昔とった杵柄か。
50分8曲。彼女の心意気に感謝したい。

1. The Rainbow Song 2. そこんとこよろしくね 3. おぼろ月夜 4. Love of my life 5. カブトムシ 6. 笑顔で愛してる 7. It Must Be Love 8. おひさま
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(B)『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』(梯久美子著 新潮文庫) [本]

小説家になるということは、悪魔に魂を売ることなのかもしれない。著者が小説と日記を丹念に読み込んだ結果、ミホが狂うきっかけとなった夫の日記は、小説家として業の浅さに悩んでいた島尾敏雄が小説のため、日記をみるように仕向け、わざと家庭内に悲劇をもたらした可能性が高いことが判明する。(日記に書かれていた十七文字が何であったかがこの本の白眉となるのではと思いながら読んでいたが、ミホは誰にも明かさず亡くなってしまった。)
『死の棘』が、ミホの支配のもとで書かれた小説であったとする二人の関係を詳らかにしていく過程が読み所ではあるが、この本は、島尾敏雄の作品を貶めるものでも、二人の隠された秘密を暴くためのものでもなく、ミホの小説に惹かれた著者のミホに対する関心を中心とするものだ。題名にあるように、主人公はミホ。
戦争中の二人の恋文のやり取りが、万葉集や古事記から引用されていることを、ミホは「恵まれた教育環境で文学的教養とセンスを身につけ、言葉の力を持って恋愛に昂揚と陶酔をもたらす能力を持っていた」と見抜き、それは、「奄美へ」と「書く女」の章における、ミホの書いた作品で実証される。ミホの小説をここまでたくさん引用する必要はないのではと感じたが、それこそが著者が知ってほしかったことなのだろう。
そして、島尾が亡くなったあと、ミホは「自分の望む夫婦のストーリーを補強する」ことに腐心し、自分の作品を書かなくなってしまうが、著者はそれを残念に思っている。
高名な作家ならば、日本藝術院会員なるものになっているのかと思って調べたら、かなり少なかった。この部分に限っては、ミホの意向によって会員になってしまった島尾に同情する。
『散るぞ悲しき』に連なる、新たな代表作となる仕事をした著者の力量に感服する。こんなすごい作品はこれからそうそう物することはできないだろう。
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(V)『北国の旅情』(1966年 西河克己) [ヴィデオ]

北アルプスのふもとの町、造り酒屋の息子との婚約が決まっているヒロイン。正月で帰省していた彼女のところへ大学の男友だちが遊びに来る。彼女がどちらの男を選ぶかという話ではあるが、男二人は、どちらも自己主張をせず、相手の気持ちを尊重しようといういい性格なので、二人の対決とはならない。
酒屋の息子は、父親に嗾けられ、一方、東京の大学生は、彼女の妹に嗾けられ、彼女と心を割って話すことになる。雪の舞う中で、二人が話をする場面がよかった。話が終わってみれば、じっと座っていた酒屋の息子は雪だるま。
薩摩っぽである酒屋の主人に対峙した主人公が、突然鹿児島弁になるところが可笑しかった。請われて「刈り干し切り唄」を歌う間、かつての淡い初恋が浮かび、鬼の眼にも涙。
主人公は、田舎の人たちの中に自分の居場所はないと、最後は汽車で去っていく。その横を並行して走るトラックの画がよかった。これまたヒロインとの恋が成就しない展開。
「富久蘭」という酒を造っている家は、大町の老舗らしい。
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(V)『友を送る歌』(1966年 西河克己) [ヴィデオ]

船員になるため、一足先に北海道を出た友人を訪ねて、主人公が横浜へやってくる。なかなか会えなかった友だちにやっと会えたが、どうもしっくりこない。実は、大きな船に乗るため、ヤクザの手先となって密輸に加担していたのだった。ギャングものに若い二人では、迫力がでないということで、二谷英明が登場して締める。
一方ヒロインは、以前友人のことを好きだったらしく、そこへやってきた主人公にも惹かれ、本人もどうしていいかわからない。横浜が舞台だったのに、自分を捨てた母に会いに、男二人とつくばへ行くという唐突な展開。この母娘の再開は余計だった。
若い二人が、乱闘で怪我もせず無事だったのはよかった。
あとから来た主人公が先に船員となって船に乗ってしまう。舟木、和泉映画は、結ばれないで終わるのが定石か。
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(V)『哀愁の夜』(1966年 西河克己) [ヴィデオ]

駆け出し弁護士が友達が起こした殺人事件の真犯人を探す話。と書くとサスペンス物ように思えるが、主眼は、主人公が冒頭偶然遭遇した娘との恋愛話。主人公は、娘に遭った晩、チンピラに絡まれ連れていかれたバアで、友だちに再開する。その晩友だちがそのバアに居た人を殺し逮捕されるというものすごい詰め込み方。
担当刑事が学校の先輩という理由で、主人公は、なぜか刑事の一員のごとく捜査に加わり--本業はやらなくていいのか--、友だちの彼女に付いて三宅島まで行ってしまう。
斯様に物語展開は、ご都合主義だったが、見どころは金持ちの娘の造形。性格の積極さに加え、自らアニメーションの制作会社を立ち上げ経営している。そこで制作しているのが、なんと「オバQ」。最初のオバQは白黒だったはずだが、スタジオで見ているものはカラーだった。作っている人たちが、主題歌を歌いながら和気あいあいと仕事していたり、倉庫のような仕事場にアニメ制作会社の雰囲気が出ていた。
その彼女は、事件の全貌が暴かれ、父親が逮捕されることになってしまったため、主人公と結ばれるわけにはいかず、別れの場面もないまま欧州へ修業に旅立って幕。
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(V)『雨の中に消えて』(1963年 西河克己) [ヴィデオ]

田舎--映画の中で場所の言及はなかったが秋田らしい--から出てきた三人娘が、東京で共同生活をしながら、それぞれの道を歩む。大学、洋裁学校、出版社勤務とそれぞれ当時では先進的な立場。
三人の関係を巡る話ではなく、それぞれの恋愛を描くことが中心で、最終的に三人三様の考え方が共同生活を発展的解消することにつながっていく。
石坂洋次郎らしく、各自の恋愛観が随所で語られる。(結婚と結びつかない恋愛など。)スキーで怪我をして先生と小屋で一晩明かしたことを赤裸々に二人で議論する場面も石坂らしい状況設定だが、そのあとで先生の婚約者への意趣返しをする場面がよかった。三人娘の中で一番出番が少なかった十朱がおいしいところを持っていた感じ。
セクハラ代議士、それを叱る奥さん(伊藤雄之助と轟夕起子1)というところにも、新しいものを感じた。
オートバイの二人乗り--もちろんヘルメットなし--場面が、吹替ではなかったのは吃驚。最後の、傘を回り込むようにして写した接吻場面には、大変感心した。
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(V)『嫁の立場』(1953年 西河克己) [ヴィデオ]

『宇野信夫作「のれん」より』という副題が付く。
佃煮屋の隠居が、汁粉屋の粋な姐さんに惚れて、どんどんお金を渡してしまう。家族に気づかれ、娘夫婦の家で監視下に置かれるが、人目を盗んで汁粉屋通い。他の事情があるのではと勘繰ったが、44分の小品なのでそんなややこしいことはなく、女とその情夫にだまされていただけだった。(だまされていたことが発覚する場面は、見事な省略)
この映画は、舅がだまされているとわかっていても、舅のこれまでの働きに感謝して、指輪を質にいれてもお金を融通してしまう息子の嫁と、娘夫婦の家に間借りをした姑を邪険にする嫁を登場させ、嫁にもいろいろあるところを見せる。狭い家に三人で暮らさなければならない嫁が、一方的に悪いとは言えないけれど、彼女の冷淡な仕打ちに対して、主人公である隠居が直接意見するところが、新鮮だった。
家庭の機微を見せる松竹の王道を行く話を、西河監督が見事に演出してみせたのだが、この後、長編を撮る機会がつぶれて、日活へ移籍することになる。
父親にねだってタップダンスの靴を買ってもらう娘を演じる野添ひとみが、中年出演者の中にあって、映画に活気をもたらしていた。
「田舎に行くと水が変わるので気をつけて」という挨拶があった時代。
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(V)『囁きのジョー』(1967年 斉藤耕一) [ヴィデオ]

主人公の行動を追う白黒画面や語り口が『月曜日のユカ』を思い出させたが、件の映画は斉藤耕一が脚本を担当していたのだった。斉藤監督はこの作品では、脚本、撮影だけでなく、世良譲とともに音楽まで手掛けて、その世界観を展開している。音楽は4ビートということになるが--ナベサダが演奏場面でフルートを吹いていた--「ブラジルへ行きたい」というジョーの夢にひっかけて、ボサノヴァ調だった。
主人公のジョーが鼻持ちならないと感じた場合、この映画に乗れなくなってしまうが、朝、六本木の町から神宮外苑を歩く様、なぜか拳銃で男を殺してしまい--広い国立競技場が舞台になっているところが超現実的--浮浪者とともに逃げる様子、そこに在るものを見つめだけで、彼の行動原理などわからないままでいいのだ。
もうひとつ特筆すべきは、麻生れい子。『やくざの横顔』より前なので、チョイ役かと思っていたら、立派なヒロイン役で、白黒画面の中で美しさが際立っていた。セリフ回しは問題ありそうだったが、セリフが多くないため逆に謎の女の雰囲気が出ていた。
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(V)『炎の城』(1960年 加藤泰) [ヴィデオ]

開巻、ピアノ音が低く鳴り渡る音楽は、伊福部であることがすぐわかった。前作『あやめ笠』は、第二東映、白黒であったが、カラー大作のこの作品を見れば、このあたりで、加藤監督の主番組を担う位置が固まったのだろう。
話は「ハムレット」の翻案だそうで、自分が留守の間、父を殺し城主となった叔父に復讐を果たす話。主人公が父親の幽霊を見たり、叔父を殺す機会がありながら止めてしまう場面に唐突感があったが、そこが「ハムレット」を踏まえた部分か。
主人公が最初から復讐の鬼のように凄まじい形相で登場し、そのまま重苦しい雰囲気が続く。恋人である姫が、父や兄の意に背いてまで主人公に従うという熱情をみせるが、それも報われない悲劇の結末。重厚な伊福部音楽はその雰囲気にふさわしい。
主人公が活躍するのではなく、農民が城に火をつけて城主以下壊滅するという流れは面白かった。(時代の空気を反映していたのかも。)農民を助けらなかった主人公も、本来退場すべき存在だったろうが、誰かに統治してもらう必要があるなら、主人公が一番よいとなるのだろう。
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