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(V)『夜霧の慕情』(1966年 松尾昭典) [ヴィデオ]

主人公が刑務所に入る親分から情婦の面倒を頼まれるという冒頭は、『夕陽の丘』の再映画化かと吃驚した。また、彼女の部屋の窓から原爆ドームが見えることで、広島が舞台だとわかり、これも吃驚。(皆標準語をしゃべっている)地方都市という設定は必要だが、特に広島にする必然はにない話。
結局、『夕陽の丘』の冒頭に至るまでを丁寧にみせたというような話。彼女を好きなのだが、親分を立てることの方が大事という主人公の方にこそ裕次郎は似合う。主人公とともに、親分、兄貴分、女の主要人物の存在感が際立っていて、悪い組を主人公が懲らしめる最後の展開は、ちょっと無理矢理なところはあったが、最後の男と女の情感たっぷりな場面は素晴らしかった。
桑野みゆきが相手役というのが珍しい上にぴったりだったが、60年代も半ばになると浅丘ルリ子を除くと、日活にこのようなバアの女主人を演じられるような女優が見当たらなかったということか。
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(V)『君は恋人』(1967年 齋藤武市) [ヴィデオ]

大けがをした浜田光夫の復帰を祝う作ということで、日活スタアが揃って一場面ずつ顔を出す。それだけではなく、ぜいたくな歌謡映画になっていて、浜田の歌はもちろんだが、荒木一郎--「愛しのマックス」を歌う!--、克美しげる、ジャニーズ--踊りも披露--が流しとして登場する他、黛ジュン、ザ・スパイダース、そして最後には坂本九まで登場して、浜田と一緒に歌を歌う。
復帰作の話として、ヤクザにあこがれる青年はふさわしくないと見ていたら、映画中映画の構造になっていて、渡哲也扮する脚本家が書いたものを撮影しているのだった。その話は、結局ヤクザになるのをやめて歌手を目指すのだが、最後の方は現実と映画が渾然としてごまかされてしまったような。。
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(映画)『陽のあたる坂道』(1967年 西河克己) [映画]

脚本に池田一朗の名前があるのは、田坂版の脚本を元に倉本聰が短く書き直したということだろう。田坂版の三時間半をちょうど半分の長さにしているので、田代家の娘の挿話が少なくなり、主人公と田代家に来た家庭教師の話に絞られた。話がわかりにくくなったということはない。
時代の風俗もうまく取り込んでいて、ジャズ喫茶での歌も、ザ・バトラーズという生ギター・コーラスグループとともにフォークソングになっていた。(冒頭、主人公が家庭教師の胸を触るのではなく、ペンキを塗るに変更したのも、世の中が変わったせいだろうか。)駒沢公園の広々として洒落た様式の建造物も時代の新しさを感じた。
西河監督は、ロケで複数の人を捉えるのがうまく、川原での殴り合いの場面、神宮の並木道を二人で走る場面、そして最後の坂道を二人で歩く場面が、印象的。
どうしても演じる役者を田坂版と比べてしまい、主要人物はやはり田坂版の方が役者が一枚上と感じたが、母親、兄、弟は、こちらの方がよかった。渡哲也の歌う主題歌も爽やかで心地よい。
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(L)種ともこ+柳沢二三男@自由が丘マルディグラ(01/17/2020) [ライヴ]

ナマライカーニバルと題したイベントは柳沢が関わっているようで、昨年第一回のとき見逃して悔しい思いをしていたこの組み合わせ、こんなに早く二回目が実現して嬉しい。会場は想像していたよりさらに小ぶりで、30人ほど入れば満杯といった広さ。
まず種がアップライトピアノで弾き語り。それがなんと「あの頃アタシもカナコも」。この名曲はアルバムでは柳沢のギターだけで録音されているので、きっと演奏されだろうと予想はしていたのだが、まさか弾き語りとは。。種のMCで、この曲は「万物流転」の世界を歌ったものだと知り、ますます好きになった。
続いて登場した柳沢が弾くのはフェンダー・テレキャスター。エフェクターをつけず直接シールドをアンプにつないでいた。テレキャスターの軽めの音が、種のピアノと歌に色を添えるという演奏で、ブルースというより、ジャズギターという印象が強かった。座った席が柳沢に正対し種の背中を見る位置だったので、必然的にギターに目が行き、フレットの下から上へ自在に行き来する演奏を目でも堪能した。
選曲は、柳沢とレコーディングした『Locked in Heaven』や『In』『Out』からでは、と期待していたのだがそうではなく、このところのライヴシリーズのように、季節に合わせたカヴァー曲が多かった。その中で、「雪やこんこ」は、自分の曲に書き換えてしまったような種らしいアレンジで、ピアノに合わせる柳沢のギターも息が合っていて素晴らしかった。また「木枯らしに抱かれて」のカヴァーは初めて聴いたが、得意の三拍子アレンジで、ゆったり歌われることで、曲の感触が早川義夫になっていた!(「心の旅」もゆったりと歌っていた。)
種の自曲が少なかったのは残念だったが、ベストアルバムに入っているとはいえ、「Might Love」「恋は歌になれ」という珍しい曲が聴けたのはよかった。「謹賀新年」も。(この曲も「お正月」の挿入ぶりに種の才能を感じる)
2度目のアンコールは予定していなかったようで、種の弾き語り。歌ったのは昨年来の香港デモ参加者の国歌と言われている「香港に栄光あれ Glory to Hong Kong」の英語版。こういう歌をとりあげて歌うのが、ここ10年の種の在り方。拍手。

<セットリスト>
1. あの頃アタシもカナコも 2. そこんとこよろしくね 3. 雪 4. 木枯らしに抱かれて 5. フリースの子守歌~竹田の子守歌 6. Mighty Love 7. 謹賀新年 / 8. ポケットいっぱいの秘密 9. 白いブランコ~Close to you 10. 心の旅 11. 恋は歌になれ 12. ダイエット・ゴーゴー /en1. 10円でゴメンね en2. Glory to Hong Kong
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(V)『夕陽の丘』(1964年 松尾昭典) [ヴィデオ]

クライマックスから始まるような映画。歌でいえばサビから始まるような。男がひとりで函館に逃げて、女が来るのを待っているという形式も珍しい。(文字通り「俺は待っているぜ」状態だが、この歌を弾き語りで歌わせたのは、松尾監督が同名作の助監督だったためか。)
しかし、待っているだけではドラマにならないので、地元のヤクザ相手に花札のイカサマを暴いてみたり--この場面は本格的花札勝負で一番の見どころだった--するが、本筋とは関係がない。
設定や全体の雰囲気はよいのに、何かしっくりくるものがないのは、女が最後に殺されるという予測どおりの結末だからという訳ではない。結局、これは男二人が女を取り合う話で、貫禄ある裕次郎に似合わない役柄だからということかも。
上司と女がいなくなって、主人公はこれからどうするという最後で、女を二役--髪型で違いを出していて--とした効果が出た。
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(V)『夢がいっぱい暴れん坊』(1962年 松尾昭典) [ヴィデオ]

小林旭が歌う「ペパーミント・ツイスト」に合わせツイストを大勢の人たちが踊っている冒頭は、最後に行われるツイスト大会から取り出したもので、「銀座の次郎長」第三弾となるこの作品はツイスト踊りが売り物。(「アキラのツイスト」という歌は、三味線を入れた和もの音楽だったが。。)
物語は、主人公の店の前に「銀座貴族」なるフランス料理店ができ、その経営者があくどい男で、主人公が最後に駆逐するというものだが、前二作では近藤宏が主人公の側で喜劇的な役どころだったのがミソだったのに、今作ではおなじみの悪役に回ってしまい、ひねりがなくなった。
銀座の街は当然日活撮影所のセットだが、実際に銀座でロケもして、主人公を走らせる画面をうまくつなぎ合わせていたところが松尾監督の持ち味と見た。
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(B)『PANTAと仲間たち ヤルタ☆クリミア探訪記』(文/写真 PANTA、椎野礼仁、木村三浩、末永賢、シミズヒトシ ハモニカブックス刊) [本]

パンタが2018年8月にクリミアへ行ったというのは、ライヴのMCで聞いた覚えがあったが、ヤルタ市制180周年を祝う音楽祭に出演したというのは初めて知った。この本の出版と、今年完成するだろう頭脳警察50周年ドキュメンタリーで映像を見せるため、語るのを制限していたのかもしれない。
それでこの本は、旅に参加した各人が日記を持ち寄り、写真を添えた内容。主はもちろんパンタのライヴの模様で、音楽祭だけではなく、前日ホテルの庭で歌ったり、セバストポリの劇場でもライヴを行った。
この三回のセットリストが非常に興味深く、会場や観客に合わせてPANTAが考え抜いた選曲となっている。海に面したホテルの庭では、「ムーンライトサーファー」や「白いヨット」という海にちなんだ歌。音楽祭では「R★E★D」や「ナハトムジーク」と音楽祭に来た人の心に響きそうな歌を選び、劇場ではブレヒト「赤軍兵士の詩」、「ケサラ」を。共通の歌は、「七月のムスターファ」「さようなら世界夫人よ」「恋のバカンス」。前二曲はPANTAを知ってもらうにはこの曲という選曲で、最後はロシアでヒットした曲ということでの選曲。まだPANTAのが歌うのを聴いたことがないので、ぜひ聴いてみたい。(本に書いてあったシルヴィ・ヴァルタンの歌も最近歌ったようだ。)
ロシアに帰属したクリミアがいま世界でどのような状態に置かれているかは、この本をよんで初めて認識したが、その部分はもっと頁を割いてくれてもよかった。あと、この本なら1,500円ぐらいが適正価格だろう。。
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(V)『砂漠の流れ者』(1970年 サム・ペキンパー) [ヴィデオ]

冒頭、砂漠を食料と水を求めてさまよっていた主人公は、二人組の男たちによって、ロバを始めとする持ち物すべてを奪われてしまう。何とか生還して、二人組に復讐する話かとみていたら、そうはならず、それから四日間もさまよったあげく、これでもうダメとなったときに湧き水を発見する。彼は、その周辺の土地を買って家を建て、そこを通る駅馬車に水を売る商売を始める。
土地を買いに町へ行き、そこで娼婦に一目惚れするという前半は井戸を離れる場面があるけれど、後半は、主人公が居る場所だけで話は展開する。冒頭の二人組も彼らの方がやってきて、結果主人公は復讐を遂げてしまう。
『ゲッタウェイ』でも少し感じたが、ペキンパー監督は普通なら見せてしかるべき場面を見せないという嗜好があるようだ。たとえば主人公と娼婦が寝る場面や、主人公が死ぬ場面など。それが余計この話をおとぎ話のように見せる。テーブルに皿を打ち付け、上から水をぶちまけて洗浄して、日光消毒とか、スローモーションを使っていないどころか、コマ落としで人物があわてふためくところを見せるなど、見るものを楽しませてくれる。
世間では自動車がバイクが登場し始めた時代で、ペキンパー監督がこの話に惹かれたのは、世界は自分中心に動いており、文字通り動かなくても生きていけた時代への郷愁ではないか。
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(V)『ダンディー少佐』(1965年 サム・ペキンパー) [ヴィデオ]

南北戦争が北軍優位で終わろうとしている1864年末。暴れん坊の先住民を征伐するため、北軍ダンディー少佐が、南軍の捕虜の中からも有志を募ってメキシコを行軍するという話。
出陣する際、北軍所属の人が「リパブリック賛歌」を歌えば、南軍所属の人たちは「ディキシー」を歌って対抗する。そこに、軍人ではない盗賊たちの寄せ集めが、「愛しのクレメンタイン」を歌いだすという三つ巴がとても面白かった。
肝心の先住民はなかなか見つからず、半年近い行軍の中で起こる、さまざまな軍隊内の出来事が話の中心。主人公は強烈な統率力がある人物で、仕方なく従っている南軍を束ねる長とのやりとりが見どころ。
途中、主人公は女医と川遊びをしているときに先住民に襲われ怪我をし、軍から離れて傷を癒す。その間酒に溺れたり、地元の女と懇ろになったりという場面があって、彼も人間として弱かったという描写がある。(女医にそれを見られて愛想までつかされてしまう。)もともと、123分だったこの作品、2005年に136分となった修復版を見たのだが、この挿話が付け加わったのでないか。この挿話によって、主人公より、南軍の長の方がずっと立派な人物に見えてしまう。
先住民だけでなく、北軍と戦うために派兵されてメキシコに居るフランス軍--バラバラな服装の主人公たちに比べ、同じ制服を着て統率がとれている--も彼らの敵で、かなりの人数犠牲が出てしまう。傷ついた南軍の長が、相手に切りこんでいく様は、日本の時代劇のようだった。
先住民の征伐は、逆待ち伏せによりあっさり終わり、ダンディー少佐を称えるような余韻を残さず幕となる。
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(V)『ゲッタウェイ』(1972年 サム・ペキンパー) [ヴィデオ]

刑務所に収監中の主人公を見せるところから始まる。自分の妻とのことを思い出す場面が突然入ったり、確かに編集に異質な感じを受ける。また、後半では発砲する時や撃たれる際は、必ずスローモーションの画が挿入されるペキンパー形式が徹底されている。
主人公は模範囚として出所するのだが、その出所も裏から手引きしていた人がいたようで、出所早々、冷静沈着に強盗をやってのける主人公(とその妻)の腕を見込んで、銀行強盗の仕事が入る。
結局この話は、主人公と妻、他二名が、銀行を襲ったが、仲間の一人に裏切られ、二人は50万ドルの現金を持ったまま、男と組織をかわしながら逃げるという単純なもの。そこで見どころとなるのは、スティーヴ・マックイーン演じる主人公の、自己規律や専門能力の高さ。
強盗はするが人を殺したくないというのがまずある。(それによって、危機に陥ることもあるのだが。)また、スリに金を捕られてしまっても、冷静な判断ですばやく見事に取り戻す。(しかしそれで警察に指名手配されてしまうのだが。)
ゴミ収集車で運ばれて、ゴミの山から這い出ることで二人の縒りが戻るという挿話もよかった。見るものは、完全に二人の逃避行を応援する立場になるので、悲劇的な最期は望まない。
この映画がすばらしかったのは、期待に応え二人が、逃げおおせるところだ。それも国境を越え、ペキンパー監督の好むメキシコへ。
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